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【プロ野球】夢は「警察官になって白バイに乗ること」だった水上善雄の運命を変えた神奈川大会 原辰徳に本塁打を浴びて敗戦も... (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── プロ4年目の79年に126試合、80年に130試合出場するなど、早い時期にレギュラーをつかみました。

水上 入団当時の監督は、「練習は走れ、走れ!」で有名な金田正一さんでした。しかし私は高校時代から走り込みを徹底していたので、高卒1年目から一軍で起用してもらえました。79年から監督になった山内一弘さんには、「その守備なら打率3割の価値がある」と評価していただきました。また、守備の基本を徹底的に教えてくれた河野旭輝コーチは、本当にすばらしいコーチでした。

【野村克也から学んだクセ盗み】

── 打撃はいかがでしたか。

水上 プロでは、ストレートしか打てない打者のことを将棋にたとえて「香車」と呼ぶのですが、当時の私はまさにそのタイプでした。そこで高畠康真コーチから「カーブやスライダーなどの変化球にヤマを張りなさい」とアドバイスを受けました。最初は単純な「ヤマ張り」でしたが、次第に状況に応じて「配球読み」へと進化していったのです。

── 「狙っていれば打てる」ということですね。

水上 しかも幸運なことに、78年の1シーズンだけ野村克也さんがロッテに移籍してきたんです。野村さんは、グラブをセットした時の利き手首の角度や筋の動きから、ストレートか変化球かを見抜いてしまうほどでした。ほかにも、投球動作のクセ、ワインドアップ時の腕の広がり方や、リリース時の口の開きなどから配球を読んでいました。

 野村さんは、これらのヒントをドン・ブレイザーから得たそうです。いまではプロの世界では誰もが当たり前にやっている"クセ読み"ですが、当時の私はその最先端の技術を身近で学ぶことができたわけです。

── 78年は阪急(現・オリックス)の名遊撃手・大橋穣さん、79年は日本ハムの高代延博さんがダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞しましたが、80年は水上さんでした。

水上 ダイヤモンドグラブ賞を受賞したことで、プロとしての自信がつき、結婚もしました。7年連続受賞の大橋さんは超強肩でした。内外野の境目よりも2メートルほどうしろに下がって守り、そこから一塁へ大遠投できるほどです。いまの遊撃手はそこに守っていても、打った瞬間前に出てきますから、大橋さんの強肩とは意味合いが違います。

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