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【プロ野球】夢は「警察官になって白バイに乗ること」だった水上善雄の運命を変えた神奈川大会 原辰徳に本塁打を浴びて敗戦も... (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 75年のドラフトでロッテから3位指名。高卒の内野手では高評価です。

水上 巨人、ヤクルト、中日が予想されていました。私はロッテのスカウトを一度も見たことがありませんでした。これはあとで聞いた裏話ですが、「他球団のスカウトから水上はいいよ」と聞いたから指名したそうなんです。当時は、夏の甲子園の中継で解説者が好選手だと言っていたから指名した、という話もあったみたいです。

【入団当時のロッテは投手王国】

── そんなアバウトな時代があったのですね。ちなみに、74年のドラフトでロッテは市立銚子の石毛宏典さん(のちに西武ほか)を6位で、75年のドラフトでは2位で新日本製鐵光の大町定夫(のちに阪神)さんを指名しましたが拒否されました。

水上 ただ当時のロッテは、74年に日本一になるなど強いチームでした。投手陣はスライダーの成田文男さん(通算175勝)、カーブの金田留広さん(同128勝)、シュートの木樽正明さん(同112勝)、フォークの村田兆治さん(同215勝)など一流の変化球を投げる投手が揃っており、さらに74年新人王の三井雅晴さんなど、まさに投手王国でした。

── 打者もすごかったですね。

水上 のちに通算2000安打を放つ山崎裕之さん、有藤通世さんがいて、さらに一塁にはジム・ラフィーバー、外野にも弘田澄男さんや得津高宏さんなど、すばらしい選手がたくさんいました。そのため、当時のロッテは補強にそれほど力を入れる必要がなかったのだと思います。

── ロッテというチーム自体はいかがでしたか。

水上 移籍してきた江藤慎一さんや白仁天さんといった猛者たちが独身寮に住んでいて、その迫力はすさまじいものでした。当時のロッテの本拠地は、年間20〜30試合の仙台が中心ながら、神宮球場や後楽園球場をホームにすることもある"ジプシー球団"でした。川崎球場が本拠地になったのは78年からです。プロ入り後、近鉄やロッテの球団事情について「お金がない」という話を耳にすることも多く、「自分は入る世界を間違えてしまったのか......」と思ったこともあります(笑)。

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