【プロ野球】夢は「警察官になって白バイに乗ること」だった水上善雄の運命を変えた神奈川大会 原辰徳に本塁打を浴びて敗戦も... (4ページ目)
【打率3割超えで恐怖の9番打者に】
── 83年に打撃がよくなり、プロ野球人生唯一の打率3割(.302)をマークしました。
水上 監督だった山本一義さんから「一本足打法をやめて、すり足打法に変えてみなさい」とアドバイスを受けました。動きを小さくすることで、投球の軌道がより見えやすくなるというわけです。イチロー選手や大谷翔平選手もメジャーに渡ってからステップを小さくしていますが、考え方としては同じですね。さらに打球をすべて右方向へ打つ意識を持つようにしたところ、バットがスムーズに出るようになりました。
── 当時は落合博満さんやレロン・リーがいるなか、水上さんはまさに「恐怖の9番打者」でした。
水上 私より4歳上で、79年に入団してきた落合さんからは、「おまえもようやくヒットの打ち方がわかってきたな」と声をかけてもらいました。試合が終わると、打撃投手の立野清広さんと愛甲猛と私の3人でビデオを見ながら感想を述べ合っていました。落合さんはすぐ室内練習場に行って、打撃フォームをその日のうちにきっちり微調整していました。あまり軽々しく使いたくありませんが、「右の天才打者」ですね。
── 金田正一さん、山内一弘さん、山本一義さん、稲尾和久さん、有藤道世さん......。ロッテ時代に在任した監督たちへの思い出を聞かせてください。
水上 どの監督も個性が際立っていて、本当にいい監督ばかりでした。みなさんお世話になりましたが、とくに印象に残っているのは山内さんです。選手一人ひとりをよく見て把握し、気さくに声をかけながら采配を振るう。そんなイメージがあります
落合さんは「山内監督が言う内角打ちの打法は自分にはできないので、放っておいてください」と言っていましたが、結果的にはチームのなかでいちばん山内さんのアドバイスを体現していたように思います。投球の内側をしっかり叩くスイングをしていましたね。
水上善雄(みずかみ・よしお)/1957年8月9日生まれ。神奈川県出身。桐蔭学園高から75年のドラフトでロッテから3位指名を受け入団。79年から正遊撃手となり、80年から4年連続全試合出場を果たす。80年にダイヤモンドグラブ賞、87年にベストナインを受賞。90年に広島、91年にダイエーに移籍し、92年限りで現役を引退。引退後は日本ハム、ソフトバンクでコーチ、二軍監督を歴任。高校野球の指導者も務めた。現在はプロ野球評論家として活躍
令和に蘇る怪物・江川卓の真実。
光と影に彩られた軌跡をたどる評伝が刊行!!
『怪物 江川卓伝』 (著・松永多佳倫)
2025年11月26日(水)発売
作新学院高校時代から「怪物」と称され、法政大学での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに野球界の話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生までも変えていった。昭和から令和へと受け継がれる"江川神話"の実像に迫る!

内容
はじめに
第一章 高校・大学・アメリカ留学編 1971〜1978年
伝説のはじまり/遠い聖地/怪物覚醒/甲子園デビュー/魂のエース・佃正樹の生涯/不協和音/最強の控え投手/江川からホームランを打った男/雨中の死闘/江川に勝った男/神宮デビュー/理不尽なしごき/黄金時代到来/有終の美/空白の一日
第二章 プロ野球編 1979〜1987年
証言者:新浦壽夫/髙代延博/掛布雅之/遠藤一彦/豊田誠佑/広岡達朗/中尾孝義/小早川毅彦/中畑清/西本聖/江夏豊
おわりに
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