阪神ドラフト1位・立石正広の才能が開花した高川学園での6年 恩師が驚愕した「頑張れる心」と「抜群の身体能力」 (2ページ目)
【親から譲り受けた抜群の身体能力】
中学を卒業後は高川学園高へと内部進学。松本監督はその約半年後、高校で指揮を執ることになり、再び立石を指導することになる。
うれしかったのは「変化を感じなかったこと」だ。全体練習後、本塁後方のカーテンネットに向かってティー打撃を繰り返す姿は、日々努力を怠らなかった中学時代と何ら変わりはなかった。
「いい素材であることは間違いなかったので、高校に入ることで、心の部分で変わっていなければいいなと思っていました。私が高校の監督になってからも、野球に対しての取り組み方は変わっておらず、自分で決めたことは必ずやり通すという、中学の時に感じた立石のままだったことが一番よかったなと思います。だから、練習しろとか、礼儀、立ち居振る舞いで彼を注意したことは一度もありません」
最後まで決めたことをやり通す芯の強さ、そして抜群の身体能力は、元バレーボール選手の両親から受け継がれた天賦の才でもある。母の郁代さん(旧姓・苗村)は日本代表として1992年バルセロナ五輪に出場し、父の和広さんも強豪の宇部商(山口)、法大で活躍。2人の姉(沙樹さん、優華さん)は誠英高(山口)で春高バレーに出場し、今も現役でプレーしている。
「お母さんがオリンピアンなので、見れば見るほど可能性は感じていました。私は頑張れる能力があるかないかが、いい選手になるための条件だと思っていますが、ちゃんと頑張れる心がある子だったので、ご両親に感謝ですね」
立石が高校入学時の監督だった西岡大輔部長は、2017年から高川学園シニアで指導者として接した際の第一印象を「バレーボールのアタックのような投げ方でした」と振り返る。
「スローイングのリストの使い方が、バレーボールをパチンと叩くような感じなんです。ただ、手足は長いのですが、体格が華奢で、ぎこちない動きだったので、中学時代はファーストしかやらせていないです」
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