【プロ野球】「勝負にいくのが怖くて...」 ヤクルト・奥川恭伸が吐露した苦悩と再生の2025年シーズン (2ページ目)
奥川は「今年はこれくらいはやれるんじゃないかという自分の想像から、かなりかけ離れてしまいました」と振り返ったが、「来年はしっかり力をつけて、自信を持ってあのマウンドに立てるようになりたい」と前を向いた。
「オフにはもう一度しっかり体を鍛えて、150キロをコンスタントに超える真っすぐを投げたいと思っています。球速が上がれば、打者の変化球への反応も変わってくるはずですし、その変化球の精度も高めていきたいです。得点圏や点を与えられない場面で、きっちり三振を取る。無駄な四球は出さない。そして、自信を持ってゾーンで勝負する。
今年はバッターに『その球を狙われるのが嫌だな』と思うこともありましたが、来年は狙われても、しっかり投げ込んでファウルを取れる状態にしたいです。それができれば、もとの自分のスタイルに戻れるし、もっとよくなると思っています。規定投球回と2ケタ勝利も達成できるんじゃないかなと」
【力を抜くことを思い出した】
現在、フェニックスリーグに参加中の奥川は、14日の西武戦(南郷)で2回に5連打を浴びて4失点するも、3回から5回までの3イニングは1安打無失点4奪三振と好投し、マウンドを降りた。
試合後、奥川は「言葉はよくないかもしれないですけど、力を抜くことを覚えました」と、笑顔を見せた。
「いや、力を抜くことを思い出しました、ですね(笑)。フォームとボールのギャップ、打ち取り方を思い出しました。そこからは、真っすぐでもファウルを取れた。結局、今年は強い球を投げたい、速い球を投げたいと、力が入りすぎていたんですね」
オフには、昨年から取り組んでいる体づくりに取り組む予定だ。
「強い球、速い球が投げられるように、11月から1月はしっかりトレーニングできる期間なので、引き続きその土台づくりをしていきたいと思っています」
奥川は長きにわたるケガで、野球人生で初めてとなる挫折を知り、今年は大好きな投げることでまた挫折を味わった。このふたつの挫折を乗り越えた時、ヤクルトに待望のエースが誕生する。

著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。
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