同級生の平石洋介と上重聡が語る名門・PL学園の教え「甲子園よりも普段の練習のほうが緊張していた」 (2ページ目)
【監督の教えの意味が今ならわかる】
――中村順司監督の指導方法が、他の学校の野球にも影響を与えていたそうですね。
平石 そうですね。PLって、甲子園で優勝とか(目標は)あるんですけど、結局はその先のプロとか、アマチュアでも野球を続けて活躍してほしいって思いがあるんですよ。PLで控え選手でも、大学でレギュラーをつかむとか、社会人でレギュラーとかも多いです。その裏にはちゃんと教育をするところと、自分たちで考えてやりなさいっていう指導がありました。
野球って言われるがままやっていたら、ある程度は成長できてもそこから先は難しい。試合になったら、誰も助けてくれないので自覚というか、主体性を持たせてやらせてくれたのは大きいかもしれないです。
上重 中村監督は「30歳まで野球をしてほしい」って、よく言っていたんですよ。当時は「プロ野球選手を目指しているんだから、30歳までやるだろう」と思っていたんですけど、30歳まで野球を続けることがどれだけ難しいことか。大学に行き、社会人になって、続ければ続けるほど30歳まで野球をやっている人の偉大さを感じました。平石はいつまで現役だった?
平石 31歳までかな。ただ、PLの練習で勉強になることはいっぱいあったんですけど、唯一わからなかったのは、天突き体操(笑)。 朝ご飯をしっかり食べるために散歩をして、最後に2列で向かい合って、又割りの状態から「エイサー! エイサー!」って。
これを早朝からやるんですよね。「天突き体操」って言うんですけど、何の意味あったんだろう?(笑)。
上重 意味は私もわかりませんでしたけど、桑田さん、清原さんもやっていたんだと思うとかっこいいなと思ってやっていた(笑)。
――朝は何時に起きて散歩に行くんですか?
上重 朝6時からですね。軽く歩いて、最後に天突き体操をして朝ご飯をおいしく食べましょうっていうことでした。
――授業中はどのような感じでしたか?
平石 先輩がいない唯一の空間ですからね。リラックスしていました。
上重 ほぼ、みんな夢の中ですよ(笑)。
――授業が終わってからはすぐに練習ですか?
平石 学校からグラウンドまで約2キロあるんですけど、1年生は競争があるんですよ。到着が遅い3人に入ってしまうと、先輩のお手伝いというか、使いっぱしりをしないといけないので、5時間目のラスト10分ぐらいになったら、みんな屈伸とかを始めるんです(笑)。
上重 カバンを持ちながらどうやったら速く走れるんだろうとか、試行錯誤をしていましたね(笑)。
Profile
平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年にドラフト7位で楽天に入団。2009年にはプロ初本塁打を放つなど活躍し、2011年に現役を引退。2019年に楽天の監督を務める。現在は野球解説者として活動している。
上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にエースとして活躍。立教大では東京六大学リーグで史上ふたり目の完全試合を達成。卒業後の2003年にアナウンサーとして日本テレビに入社。2024年3月末をもって同社を退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動している。
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