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「試合を見なくなった」「釣り? 全然行けてない」 城島健司が語るホークスCBO就任後の仕事と生活 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri kotaro

── ただ、プロ野球は入れ替わりの激しい世界です。

城島 10年もすれば、監督、コーチ、選手はほぼ入れ替わってしまいます。野球の現場のことをユニフォーム組だけでとどめてしまうから、人が入れ替わった時に別のものになってしまうのです。だから、現場のことを球団フロント職の人間も知っておく必要があります。それをさらに、未来のフロントマンにつないでいくために、王さんとともにホークスが歩んできた道や、今の現場が取り組んでいることへの結果や課題などをフロントマンたちに伝えるのが、CBOとしての僕の仕事のひとつだと思います。

── CBOとなって、城島さん自身の昨年までとの日々の変化は?

城島 以前に比べて試合は見なくなりました。ただ、小久保さんとは本当にしょっちゅう話をしています。今はこんな野球や取り組みをしているという話から、未来のホークスについての話まで。ホークスの孫正義オーナーは、球団を持った当初から「めざせ世界一!」を掲げています。当然そのなかには、巨人のV9を超える10連覇を達成しなさいという意味もこめられています。つまり、勝利と育成の両方を追求しなければならないのです。

 これって真逆ですごく難しいこと。だけど、その意思に応えるのが我々の仕事であり、すごく重く受け止めています。だからこそ、10年後にホークスのユニフォームを着ている選手や首脳陣、球団フロントマンにつないでいかなければならないことがあるのです。正直、やることは多いです。とにかく会議ばかり。ただ、これまで勉強してこなかったのがよかった。その分、脳の容量がまだ残っているんですよ(笑)。

── 大好きな釣りのことを考える隙間もないのでは?

城島 全然行けてないですね。チームが休みでも、そういう日こそ会議とかで動かなきゃいけないし。でも、釣りはやめませんよ。釣りを取り上げられたら、野球が嫌いになるわ(笑)。


城島健司(じょうじま・けんじ)/1976年6月8日生まれ、長崎県出身。別府大付高(現・明豊)から94年ドラフト1位でダイエー(現・ソフトバンク)に入団。入団3年目の97年から正捕手となり、99年は全試合出場を果たし、球団初のリーグ優勝、日本一に貢献。その後も"強打の捕手"としてホークス黄金期を支えた。2006年にFA権を行使し、シアトル・マリナーズに移籍。捕手としてレギュラーを獲得し、18本塁打を放った。その後、09年までプレーし、10年に阪神で日本球界復帰。12年に現役を引退し、趣味である釣り番組に出演するなどタレントとして活動していたが、20年からソフトバンクの会長付特別アドバイザーとして球界に復帰。25年からホークスのCBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)に就任した

著者プロフィール

  • 田尻耕太郎

    田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)

    1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。

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