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【MLB日本人選手列伝】井口資仁 メジャー1年目から活躍で世界一 強心臓と卓越した順応性

  • 文/杉浦大介 text by Sugiura Daisuke

新天地に順応する器用さと強心臓で力を発揮した井口資仁 photo by Getty Images新天地に順応する器用さと強心臓で力を発揮した井口資仁 photo by Getty Images

MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載14:井口資仁

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第14回は、メジャー1年目でワールドシリーズ優勝に貢献した井口資仁を紹介する。

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【少年時代から強心臓】

 メジャーリーグのワールドシリーズが始まり、今年も大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希というロサンゼルス・ドジャースでプレーする3人が最高峰の舞台に臨んでいる。去年の山本、今年の佐々木のように渡米1年目で通称"フォールクラシック"(ワールドシリーズの別称)に辿り着いた選手は数えるほどだが、そのなかのひとりが井口資仁だ。2005年、2年470万ドル(当時のレートで約5億2000円)の契約でシカゴ・ホワイトソックスに入団した井口は1年目から打率.278、15本塁打、15盗塁の好成績をマーク。貢献度はそれらの数字が示す以上に高く、ホワイトソックスの88年ぶりの世界一の立役者のひとりとなった。

 なかでも前年王者ボストン・レッドソックスと対戦した地区シリーズ第2戦で放った逆転3ランホームランは、井口のメジャーキャリアの代名詞的な一発として記憶される。ただ、そういったハイライト以上に、主に2番打者としての繋ぎ役としての印象が強い。1番を打った俊足のスコット・ポドセドニック、中軸を務めるポール・コネルコ、ジャーメイン・ダイ、カール・エバレットといった主力選手たちの間でうまく機能していた。

「今年のMVPは井口。井口みたいに野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇できた」

 ホワイトソックスの監督だったオジー・ギーエンが井口を讃えた言葉はウィキペディアにも記されているが、実際に当時の指揮官は日本から来たルーキーを極めて高く評価し、重宝していた記憶がある。あの年のホワイトソックスは"スモールボール"ならぬ"スマートボール(聡明な野球)"を標榜して成功を収めた。そんななかで器用にさまざまな仕事をこなしてくれる井口は、ほとんど理想的な存在だったのだろう。

 ここで少し個人的な話をさせていただくと、実は筆者は井口と同じ東京都田無市(現在、西東京市)の出身で、小学生時代は"田無ビクトリー"という同じ軟式少年野球チームでプレーした経験がある。年齢は井口のほうがひとつ上で、親しい友人関係だったわけではない。しかし当時は主将&捕手だった井口に、1学年下のチームのエースピッチャーだった筆者がバッテリーを組ませてもらったことが何度かある。

 その頃、井口はまた身体が大きくなる前で、もちろん優れた選手ではあったが、飛び抜けたパワーヒッターなどではなかった。それよりも印象に残っているのは、とびきりのリーダー、クラッチヒッターとしての姿だ。公式戦の終盤、延長戦などの重要な場面では決まって快打を飛ばし、ベンチから「神様、仏様、井口様!」と歓喜の叫び声が飛んだのを覚えている。

 小学生ながらどんな舞台でも気後れせず、自分のプレーができる強心臓のプレーヤー。身も凍るような緊張感に溢れた状況でも平常心を保ち、普段どおりに活躍してくれる頼れるキャプテン。子どもながらにしてそんな姿を見ていたから、以降、井口が甲子園に出場し、さらにはNPB、MLBと順調に階段を上っても大きな驚きはなかった。そして、メジャーですぐに自分らしいプレーをしても、ほとんど当然のように思えたのである。

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著者プロフィール

  • 杉浦大介

    杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)

    すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

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