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ダイエー初優勝の直前、城島健司は仏のように笑う王貞治を見て涙が溢れた 「ギリギリになってしまったけど間に合ったんだ」 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri kotaro

【出過ぎた杭は打たれない】

── 王監督の言葉で特に印象に残っているものは何でしょう?

城島 節目のたびにいろいろな言葉を授かりました。たとえば若かった頃、僕はヤンチャだったので先輩から怒られたりいろんなことを言われたりしたものです。ヘコたれることはなかったですが、王監督はそんな僕を見て「ジョー、出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない。特別な存在になりなさい。相手が金槌で叩けないくらい出すぎるんだよ」と。そんなふうに言ってくれたのです。あぁ、いい言葉だな、じゃあ出すぎてやろうと思いました。そして、ケガをしたり、不振に陥ったりした時は「ジョー、試練は乗り越えられる者しかやってこないんだ」とよく言われたものです。

── いい言葉ですね。

城島 また、ある時は、「高い壁の向こうにはどんな景色が待っていると思う?」と尋ねられました。王さんは景色という言葉をよく使います。つまり、活躍した先のこと。僕は苦しい練習を乗り越えた壁の向こう側には、お花畑が広がる天国のようなすごく心地いい世界が広がっていると思うと答えました。でも、王さんは「ジョー、違うんだ」と。高い壁をやっとの思いで越えていったら、向こう側にはもっと高い壁があるんだ。その景色は乗り越えたヤツしか見ることができないんだよ。そして、そのうちやっと登った壁から落ちてしまうこともある。だけど一度登れば、登り方を知っているからそれは壁だと感じなくなる自分がいるんだよ」と教えられました。

 野球選手は引退するまで常に高い壁と向き合い、それを乗り越える挑戦をしなければならないのです。今、僕は球団のフロント職に就いているので、毎年新人が入ってくるたびにその話をします。王さんしか知らない868本塁打の景色がある。世界でただひとりですよ。いつかホークスから869号を打つ選手が現れて、誰も見たことがない868本塁打の向こう側の景色を見てほしいと思いますし、先ほどのも含めた3つの言葉は自分のメモ帳に残しています。

つづく>>


城島健司(じょうじま・けんじ)/1976年6月8日生まれ、長崎県出身。別府大付高(現・明豊)から94年ドラフト1位でダイエー(現・ソフトバンク)に入団。入団3年目の97年から正捕手となり、99年は全試合出場を果たし、球団初のリーグ優勝、日本一に貢献。その後も"強打の捕手"としてホークス黄金期を支えた。2006年にFA権を行使し、シアトル・マリナーズに移籍。捕手としてレギュラーを獲得し、18本塁打を放った。その後、09年までプレーし、10年に阪神で日本球界復帰。12年に現役を引退し、趣味である釣り番組に出演するなどタレントとして活動していたが、20年からソフトバンクの会長付特別アドバイザーとして球界に復帰。25年からホークスのCBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)に就任した

著者プロフィール

  • 田尻耕太郎

    田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)

    1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。

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