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ダイエー初優勝の直前、城島健司は仏のように笑う王貞治を見て涙が溢れた 「ギリギリになってしまったけど間に合ったんだ」 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri kotaro

【優勝の瞬間、涙が溢れた理由】

── 初優勝の日。王監督の美しい胴上げの隣で、城島さんが涙していたのは印象的でした。

城島 あの時の映像は今でもテレビなどで使われることがありますが、最後の1球の前に、僕はもう泣いているんですよね。じつは2ストライクまで追い込んだ時、僕はパッとベンチの方に目をやったんです。そうしたら王監督が笑っていたんですよ。スコアは5対4。ピッチャーは守護神の(ロドニー・)ペドラザでしたけど、まだ1点差じゃないですか。

 あの頃の王監督は本当に厳しくて、眉間に常にしわを寄せて、グラウンドをものすごい目力でじっと睨むのが常でした。1点リードで笑顔なんて見たことがなかった。そんな王監督が仏様のように笑っていたんですよ。僕、それを見た瞬間に涙がポロポロ溢れてきて。これで優勝する、5年目でギリギリになってしまったけど間に合ったんだ、と。あの一瞬だけは忘れられないです。

── そして最後のバッターは空振り三振。

城島 いま思えば、僕よく捕りましたよ(笑)。でも、なんというか、あの笑顔にすべてが集約されていた。あの笑顔を見ることができてよかったと、心から思いました。ホークスは翌年もリーグ連覇を果たして、2003年にも優勝と日本一になって常勝軍団になっていきましたが、涙を流したのは1999年の優勝の時だけでしたね。

── もし1999年にホークスが優勝していなければ、その後のプロ野球は現在とはまるで違う世界だったかもしれませんね。

城島 そうかもしれません。すべて仮定の話ですけど、王監督は当初の5年契約をもって1999年限りでホークスを離れていたかもしれない。王監督がいなければ僕自身も指導者によっては「他のポジションをやれ」と言われて、キャッチャーを続けられることはなかったかも。そうなればメジャーリーグでプレーすることもなかったかもしれません。すべて"たら、れば"の想像ですけどね。

 ただ、とにかくホークスが最初に優勝するまでの5年間、僕自身もそうだし、今のホークスを率いる小久保(裕紀)監督もそう。その当時を知る僕らは、王監督から「野球選手とは何か」「プロとは何か」というものをイロハのイから教わりました。僕なんて18歳でプロに入って、最初の監督が王さん。小鳥が最初に見たものを親だと思うのと同じように、僕は王さんのことを親父だと思っています。たくさんの金言も授かってきました。今も胸にしまっています。

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