プロ野球はなぜ「打てない時代」に突入したのか 「160キロよりもキツい」「真っスラホップ」の正体 (2ページ目)
メジャーで有効とされるものが"輸入"され、トレンドになる。これは日本球界の常だが、行木によれば、中日・川上憲伸、西武・松坂大輔ら何人かの投手は、それ以前から「小さく変化する球」を投げ始めていたという。川上、松坂はのちにメジャーでプレーしただけに、自身で研究していた可能性もあるだろう。
その後、2005年に行木は球団創設1年目の楽天に請われて出向。07年にスコアラーとして正式に入団すると、ベンチ入りも果たすようになる。役職名が変わり、より責任が増した現在もその点では同様だが、入団から数年後、新たに流行り始めた変化球があった。
「チェンジアップです。この奥行きを使うボールも流行り出して、バッターの対応が難しくなっていくんですね。低めにきたフォークは基本的にボール球ですけど、チェンジアップはストライクゾーンにくるので、結局、打ちにいかないといけない。小さい変化が主流のところにチェンジアップが入ってきて、それがコロナ禍の前ぐらいまで続いたんじゃないですかね」
コロナ禍の前ぐらいというと、2018年、19年。18年は両リーグで3割打者が20人、30本塁打以上が11人いて、防御率1点台は皆無。19年は3割打者が11人、30本以上も11人いて、唯一、オリックスの山本由伸が防御率1点台(1.95)をマークした。打者の対応が難しくなりつつあっても、当時はまだ"投高打低"ではない。
【高めの速い球がメジャーから輸入】
そして変化の兆しらしきものを行木が現場で知ったのは、2019年に移籍したロッテでのことだった(楽天には24年に復帰)。22年に来日して巨人でプレーし、23年からロッテに在籍するグレゴリー・ポランコと直接対話した時。ピッツバーグ・パイレーツ時代の16年に22本、17年に11本、18年に23本と本塁打を放っていたポランコ自身、翌年から不振に陥った理由を話してくれたという。
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