ヤクルト・沼田翔平がプロ野球人生2度目の「育成→支配下登録」を勝ちとるまで (4ページ目)
「今年も支配下になれなかったとしても、誰が見ても『いいよね』と思える成績を出し続けることしか、頭にはありませんでした。話は戻っちゃいますが、巨人時代の先輩たちが言っていた『絶対に誰かが見ている』と思いながら、必死にやるしかないので......」
沼田は、前述した巨人時代の先輩たちからの助言をこう言葉にした。
「鍵谷さんはトレードで、野上さんはFAで、トヨさん(田中)は戦力外からと、みんな巨人の外から入ってきた選手でした。『プロ入りした巨人で頑張りたい気持ちはよくわかるけど、おまえがずっと頑張り続ければ、ほかの人が目にかけてくれることもある』と。僕はそう受け止めました。結果的にこうしてヤクルトに拾ってもらえたわけですし」
そうした強い気持ちで勝ちとった背番号「71」だった。
小川淳司GMは、沼田の支配下登録の経緯について次のように説明した。
「ピッチャーとして全体的にまとまりがあり、ボールにはキレがあってスピードもあります。しかし、いいパフォーマンスを継続できなかったことが、支配下登録に届かなかった理由です。
でも今シーズン、特にここ1カ月はずっといい状態が続いており、これなら一軍で戦力になれると判断しました。これまではある程度、能力面を見ていましたが、これからは結果が求められる立場になります。変化球に頼るところがあるので、もっと貪欲にいけば、自分のよさをさらに引き出せるのではないかと期待しています」
【恩返しの一軍マウンド】
冒頭の7月9日の練習後、沼田に声をかけると小さく笑っただけで、その神妙な面持ちに少し戸惑った。
「巨人で最初に支配下になれた時は喜びが強かったのですが、今回は結果を出さなければという気持ちが強いので」
そして「この育成の4年間は、毎年ラストと思ってやってきて、そのなかで多くの方に携わっていただき、みんなに喜んでもらえたら......」と、言ってこう続けた。
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