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ヤクルト・沼田翔平がプロ野球人生2度目の「育成→支配下登録」を勝ちとるまで (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 シーズン終了後、10月のフェニックス・リーグ(宮崎)では、髙津臣吾監督が視察に訪れた試合で7回2失点の好投。さらに11月には台湾のウインターリーグにも参加し、3試合に先発して2勝0敗、防御率0.47というすばらしい成績を残した。

 昨年2月、沼田は一軍の浦添キャンプ(沖縄)に参加。遅くまで球場に残り、キレのあるストレートに加え、スライダー、カーブ、シュート、そして「大きいのと小さいの」と呼ぶ2種類のフォークに磨きをかけた。

 オープン戦にも一軍に帯同し、開幕前の支配下登録への期待は高まった。だが、その願いは叶わなかった。

「いま思えば、武器がなかったですね。『沼田といえばこうだよね』みたいなものがなかった」

【野球をやめる考えは1ミリもなかった】

 開幕すると状態は上向かず、「自主トレからやってきたことができなくなってしまった」という時期もあった。投げる姿には元気がなく、見ていて哀愁を感じることもあった。そしてまた、7月の支配下登録期限は過ぎていった。

「ダメな時はおどおどしていて、逆にいいときは淡々として見えただけだと思います(笑)。はたから見たら腐っているように映っていたかもしれませんが、そんなことはまったくありませんでした。何て言うんですかね......課題はまだ残っていたし、次の年につながるように試行錯誤していました。

 もし去年、クビになっていたとしても、野球をあきらめようとか、やめようとか、そんな考えは1ミリもなかったです。野球が好きでやっていたから続けられたし、そうじゃなかったら、7年も続けていないと思います(笑)」

 オフに育成選手として再契約を結んだものの、今春のキャンプは二軍スタート。開幕後も明確な役割は与えられず、試合当日にチーム事情で急遽、先発を任されることもあった。

 そういった状況のなかで、「コツコツ抑えていけば、また投げる場所も増えていくので」と前向きに取り組み、次第にチーム内での序列を上げていった。

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