ヤクルト・沼田翔平がプロ野球人生2度目の「育成→支配下登録」を勝ちとるまで (2ページ目)
沼田の2023年シーズンは、開幕から6試合に登板した時点で「打撃投手のように打たれてました」と0勝4敗、防御率9.51と沈んでいた。
「この頃、尾花さんに『どういうピッチャーになりたいのか。常に状況は不利なんだよ』と言われていたんです。いま習得しないといけない武器は何なのか、長期的に取り組むことは何なのか。話し合いを重ねて、スタミナの強化と強い体をつくっていこうと」
たとえばアメリカンノックは、ほかの選手が10球を1分のインターバルで3セットのところ、沼田は10球を30秒のインターバルで5セットを行なった。
「ある意味、シーズンを捨てた部分はありました。もちろん根っこの部分ではそうじゃないんですけど。試合で投げながらそれを続けるのは難しいのですが、投げたいボールを投げるにはそれをやらないといけなかった。『人よりやりました』とは言えないですけど、練習量を増やしたことが、今につながっていると思います」
育成選手がシーズンを捨てることに不安はなかったのか。アメリカンノックは全体練習後のメニューで、これを毎日のようにはやっている選手は沼田だけだった。
「不安はまったくありませんでした。それよりも、うまくなることだけを考えていました」
支配下登録の期限が過ぎ、真夏の灼熱の日々が続いても、尾花コーチとのアメリカンノックは途切れることはなかった。
【沼田を支えた巨人時代の先輩の言葉】
モチベーションを保ち続けられた理由のひとつに、巨人時代の先輩たちからの言葉がある。
支配下から再び育成契約となった頃、鍵谷陽平、田中豊樹、野上亮磨らから「見ている人は必ずいる。腐らずにやり続けろ」と声をかけられた。その助言は、沼田の心に強く残っていた。
厳しい練習をこなすなかで、沼田のピッチングは次第に変わっていった。「試合の日でも意外と動けたり、結果がよかったりすることもあって」と本人が振り返るように、手応えを感じる場面が増えていった。
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