【中畑清×篠塚和典】同期のふたりが明かすドラフト1位をめぐる裏話 厳しかった伊東キャンプには「感謝」 (3ページ目)
【厳しくも感謝した伊東キャンプ】
――厳しい練習として真っ先に挙げられるのは、おふたりが参加された伊東キャンプです。
中畑 あれは別格ですけどね。ただ、私が巨人に入団した当初から、同じような練習メニューをファームで普段からやっていたような気はします。それを1カ月間に凝縮したのが伊東キャンプだったのかなと。
篠塚 ファームでの上下関係なんかもけっこう厳しかったですね。常に先輩の顔色をうかがうというか、そういうのは高校時代と同じでした。練習メニューもきつかったですしね。入団して3年間の厳しい練習を乗り越えてからの伊東キャンプでしたから、確かにきつかったですけど、3年間かけて作った体があったからこそ、みんなケガをしなかったんじゃないですか。
中畑 普段から厳しい練習メニューをこなしていなかったら、あの伊東キャンプはやり通すことはできなかったと思う。故障者が何人も出て、置いてけぼりになる選手が出ていたと思うな。
篠塚 ケガしたらどうしようとか、一切考えていなかったですよね。
中畑 考えなかったよな。ただ、朝起きるのが本当に嫌で、次の日を迎えたくなかった。
篠塚 早いんですよね、次の日が来るのが......寝たらもう朝という感じで。
中畑 門限は夜10時だったけど、起きている選手はいなかったよな。もうバタンキューだから。もう朝が嫌で嫌で、あんな日々を過ごしたのは後にも先にも伊東キャンプの1カ月間だけ。でも、それが我々の財産になったよな。キャンプに参加した選手はみんな、二軍で終わらずに成功しているんだから。
キャンプ前までは"一軍半"みたいな選手が半分くらいいたと思うけど、それが全員成功して、プロ野球の世界でいい思いをして終わっているわけだから、本当に感謝だよね。ところで、あの練習メニューを作ったのは誰だったんだ? シノか?
篠塚 考える暇もないですよ(笑)。
中畑 (当時ヘッドコーチの)青田昇さん?
篠塚 青田さんは後から合流しましたからね。土井正三さん(守備走塁コーチ)か与那嶺要さん(打撃コーチ)ですかね?
中畑 いや、ミスターだろうな。
篠塚 ミスターもやはり一緒に考えたでしょうね。
中畑 階段の昇り降りにしても、馬場の平(急勾配の坂道)でのランニングも。
篠塚 そういった場所はトレーニングコーチが見つけてきたんじゃないですか?
中畑 ミスターが事前に視察して準備したように思うけどな。そうでなければ、あれほど環境が整わないと思う。選手をしごくためにやってるんだから(笑)。
篠塚 いい思い出ですよね。
中畑 最高の野球人生を送らせてくれる原点を作ってくれたわけだから、ミスターに感謝だよな。参加した選手は皆が感謝していると思う。
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