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【プロ野球】平野佳寿が吉井理人から学んだ虚勢を張る大事さ 「堂々とベンチに帰ってこい!」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 2年連続日本一はならなかったが、阪神との日本シリーズ第3戦の9回裏。1点差で甲子園のマウンドに上がった平野は、まさに『平野劇場』といった投球を見せる。先頭の代打・原口文仁に四球を与えるも、続く1番・近本光司は二塁ゴロ、2番・中野拓夢は三振。3番・森下翔太は四球で一打逆転のピンチを背負ったが、4番・大山悠輔はフォークで空振り三振に仕留めた。

「あの時は『最悪、満塁でもいいや』と思いながら、大山くんの状態とかを考えての配球が最後ハマりましたね。で、その前に若い子が打たれて、甲子園の雰囲気に『呑まれた』とか(新聞に)書いてあって、僕が抑えて『ベテランの味』って言ってもらったけど、『いや、たまたまやけどな』って(笑)。僕も甲子園にちょっと呑まれていたし、あれも表に出さないようにしていただけです」

 2024年、平野は3、4月に7セーブを挙げるも、右ヒジの張りで5月に戦線離脱。12試合の登板に終わった。それでも現役を続行し、今季は新監督の岸田護が率いるチームを支える。同期入団の指揮官の下、「岸田監督が求めるところで投げるだけ。6回からでも。言われたら抑えもしますし」と平野は言う。あらためて、なぜここまで投げてきて、これからも投げられるのか。

「打たれて、次の試合に投げるのが嫌になるところをちょっと頑張って、『行こう』って言うて、足出せたから、ここまで続けてこられたのかなって思いますね。どこかで、『あっ、もうアカンわ』『もうどうしよう』と思っていたら、そこで終わっていたかもしれない。でも、『まだもうちょっと頑張ろう』『もうちょっと行ける』って思いながらマウンドに上がっていたのかなと。だからもうちょっと、行きます」

(文中敬称略)


平野佳寿(ひらの・よしひさ)/1984年3月8日、京都府生まれ。鳥羽高校から京都産業大を経て、2005年にドラフト希望枠でオリックスに入団。1年目から開幕ローテーション入りを果たし7勝をマーク。5年目に中継ぎに転向すると、11年に最優秀中継ぎ投手、14年に最多セーブのタイトルを獲得するなど、球界を代表するクローザーに君臨。17年には日本代表として第4回WBCに出場。同年オフ、海外FA権を行使しアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。1年目は75試合に登板し、4勝3敗3セーブ、防御率2.44の成績をマーク。20年はシアトル・マリナーズ、21年から再びオリックスに戻りプレーし、チームのリーグ3連覇に貢献した

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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