日本好きだったアニマル・レスリーは、引退後も帰国せずにタレント活動 松永浩美は「やめたあとのほうが充実感はあったみたい」
松永浩美が語るアニマル・レスリー 後編
(前編:「記録より記憶に残る外国人選手」アニマル・レスリー 雄叫びのイメージも「一番優しかった」>>)
松永浩美氏に聞く、阪急ブレーブスの抑えとしてプレーしたアニマル・レスリー氏のエピソード。その後編では、アニマル氏のパフォーマンスや現役引退後の活躍などを語ってもらった。
挙式でビートたけし(右)から祝福を受けたアニマル(左)photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【勝ったあと、アニマルに近づくのを警戒していた】
――アニマルさんといえば、試合に勝利した直後にキャッチャーの藤田浩雅さんのマスクをグラブで殴る行動が儀式のようになっていましたね。松永さんはどう見ていましたか?
松永浩美(以下:松永) 藤田もぺぺ(アニマル氏の愛称)が自分のことを殴りにくることをわかっていましたからね。彼は殴られる直前に、むち打ちになったりするのを防ぐために首筋に力を入れるんです。
私たち野手からすると、まず藤田に犠牲になってもらう感じ(笑)。そのあと、ぺぺがベンチに向かって歩き出すぐらいのタイミングを見計らって、「ナイスピッチング」などと言いながらグラブ同士でポンとたたき合うんです。危険は回避していました(笑)。
――野手はみんなアニマルさんを警戒していた?
松永 試合に勝った瞬間、野手はダーッとマウンド付近に駆け寄っていってハイタッチをしたりするじゃないですか。でも、ぺぺが最後に投げて勝った試合では、ほかのピッチャーの時と比べて出だしの一歩、二歩が遅かったです(笑)。自分も含めて、みんな警戒していたんでしょうね。
――けっこう激しく、グラブで藤田さんを殴っていたように見えました。
松永 先ほど(前編)でも話しましたが、殴ったときの音は大きかったのですが、実はあれって、あまり強くは叩いていないんです。たたいた瞬間にグラブを引くような動作をしていたので、衝撃は見た目ほどではなくて意外と痛くなかったはずですよ。気を遣っているんだな、と思っていました。
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