日本好きだったアニマル・レスリーは、引退後も帰国せずにタレント活動 松永浩美は「やめたあとのほうが充実感はあったみたい」 (2ページ目)
――試合に勝った時のパフォーマンスもいろいろありましたね。
松永 日本の文化が好きだったので、相撲の四股踏みをしたり、手刀をやってみたりしていましたね。両手を上げてロッキーみたいなポーズもしていました。
――松永さんはブーマー・ウェルズさんとも仲がよかったそうですが、アニマルさんとの交流も多かったですか?
松永 ぺぺが阪急に在籍していたのは2年ですが、在籍時はもちろん、彼が現役を引退した後も神戸などで会ったり、いろいろと交流は続いていましたよ。新幹線のホームで偶然会った時もあって、遠くから「マツさーん!」と呼びかけてきたりとかね。野球とプライベートの区別がしっかりしていましたし、いいヤツでしたよ。
【引退後、タレントとして活躍】
――パフォーマンス以外に印象的な出来事はありましたか?
松永 そういえば1回、プレーで驚いたことがありました。ぺぺは右投げなので、軸足は右足じゃないですか。ランナーがセカンドにいてセットポジションだったのですが、牽制をするときに右足を上げたんですよ(笑)。当然、セカンド塁審にボークと言われたのですが、「なんでボークなんだ!」と激高していました。
私も、マウンドに行って「いまの完全にボークだぞ」と言いましたよ(笑)。彼は左足を上げたつもりだったのかもしれませんが、右足を上げたので「えっ!?」とびっくりしました。そのあとは、バッターに向かって投球するようなフォームでセカンドに牽制していましたし、気持ちが舞い上がっていたのか、頭が真っ白になってしまったんでしょう。ランナーがいない時は威勢がいいんですけど、ランナーが出たらすぐに慌てるタイプでしたね。
――現役引退後は「亜仁丸レスリー」という芸名のタレントとして、人気バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(TBS系)などにも出演していましたね。
松永 ぺぺは野球選手を引退してもアメリカに帰らず、「日本を拠点に活動がしたい」と言っていましたからね。メジャーだったら自分よりもいい選手っていっぱいいるじゃないですか。日本で広く名前が売れたので、それを生かしたいと思っていたみたいですよ。
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