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名アンパイヤが明かす退場劇から見えた名将のキャラクター「対照的なふたり」とは? (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── それで遠藤投手は危険球により退場。監督であり、マスクを被っていた古田さんが退場になった理由はなんだったのですか?

井野 遠藤投手の退場に、古田さんが説明を求めてきたのです。抗議がエキサイトして、思わず言葉が厳しくなってしまった。よくあることではあるのでが、その試合の責任審判だった私は、「審判員への暴言」を理由に退場処分としました。

── ちなみに盗塁をした石川選手ですが、そのシーズンはわずか1盗塁で、しかもプロ初盗塁でした。

井野 そうだったみたいですね。当時、石川選手は高卒3年目で、一軍定着のアピールに必死だったのでしょう。しかし翌日の練習中に打球を顔面に当て、唇を20針縫う大ケガを負い長期離脱したそうです。ちなみに翌2008年から、「大差の試合での盗塁は記録として認めない」という旨のルール改正が行なわれました。

【静の落合博満、動の岡田彰布】

── 岡田彰布監督も退場させているのですね。

井野 2007年、京セラドームでの阪神対中日戦でした。阪神の2点ビハインドで迎えた8回裏無死満塁で、鳥谷敬選手のセカンドゴロを荒木雅博選手が処理して、ショートの井端弘和選手に送球したのですが、私はアウトのコールをした瞬間、後悔しました。正直に言うと、明らかにミスの自覚はありました。一塁走者の藤原通選手が思った以上に俊足だったことは、私の危機管理不足でした。とはいえ、一度コールした以上「判定を変えます」とは言えません。

── それで岡田監督が抗議してきたわけですね。

井野 ものすごい勢いでダグアウトを飛び出してきて、二塁塁審だった私の体を突いたのです。これはアウト、セーフの正誤の問題ではなく、審判員への暴行を理由に退場を宣告しました。一方、中日の落合博満監督は極めて冷静で、ベンチからゆっくりと出てきて、高橋聡文投手に「落ち着けよ」とだけ言って、戻っていきました。当時は中日と阪神が優勝を争い、"竜虎の時代"と呼ばれていました。"静の落合監督""動の岡田監督"と、セ・リーグを代表する対照的なふたりの指揮官でした。


井野修(いの・おさむ)/1954年、群馬県生まれ。76年、神奈川大学在籍中にセントラル・リーグ審判部へ入局し、2009年まで所属。03年からセ・リーグ審判部長、両リーグ審判部が統合された2011年からNPB初代審判長を務めた。14年〜22年、NPB審判技術委員長兼日本野球規則委員。23年には四国アイランドリーグPlus、ルートインBCリーグの審判部アドバイザーに就任した。通算審判員歴34年、ペナントレース2902試合出場、日本シリーズにも12度出場している

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