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ロッテからの3位指名に「えっ、オレ!?」 一度は野球をやめてモデルを目指そうとした最速153キロ右腕の波乱万丈 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 4年前の自身について、一條はこう振り返っている。

「高校の頃は何も考えなくてもよかったんです。自分の思うように体も動きましたし、投げたいところに投げられましたし......」

【モデルになるのもいいかな】

 大学進学後に試練が待っていた。きっかけを聞いても、一條は「本当にわからないんです」と首をひねる。

「大学に入ってすぐ、投げ方が変なふうになって。なんとか立て直してやってきたんですけど、よくなったり悪くなったりの繰り返しでした」

 大学2年時にはリーグ戦で自己最速の153キロを計測する。1学年先輩に細野晴希(現日本ハム)、同期に岩崎峻典(ソフトバンク6位)がおり、酷使されることなくマイペースで野球に取り組める環境・条件も揃っていた。順風満帆に見えても、本人の思いは違った。

「153キロを出した時のフォームも決してよくはなくて、力任せというか『でっかいフォーム』という感覚でした」

 自分の求めるボールが投げられない。そのストレスは、一條の心を蝕んでいった。次第に「なんでこんなしんどい思いをしてまで、練習しなくちゃいけないんだ......」と嫌気がさしていく。限界に達した時、一條は「野球をやめよう」と決意した。

 だが、好条件で大学に入学している以上、何か口実がなければやめられないだろう。そう考えた一條は、思いもよらない「次の夢」を描き出す。

「自分は服が好きですし、モデルになるのもいいかな......なんて考えていたんです。雑誌に載るようなモデルではなくて、ファッションショーでランウェイを歩くようなモデルになりたいなって。当時は体重も78キロくらいでしたし」

 これまで世話になった関係者に報告の電話を入れたが、「何を考えているんだ」と激しい反対を受けた。当初は「おまえの人生だから」と理解を示していた両親も、最終的には反対へと回った。一條はモデルへのほのかな憧れにフタをして、再び野球に向き合った。

つづく>>


一條力真(いちじょう・りきま)/2003年2月10日、茨城県生まれ。常総学院高時代から好投手として注目されるも、甲子園出場経験はなし。プロ入りも期待されたが、志望届は提出せず東洋大に進学。大学では1年からリリーフで登板する。4年秋は東都2部リーグに優勝に貢献。24年ドラフトでロッテから3位指名を受けた。身長192センチ、体重90キロ、右投左打

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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