【WBC】アメリカ代表が「世界一を決める必要があるのか?」から本気になるまで 「最強メンバー」の背景にある侍ジャパンの存在
今回のチームUSA主将を務めるアーロン・ジャッジ(左)とマーク・デローサ監督 photo by Getty Images
後編:WBCの成長過程と「史上最強」アメリカ代表の本気度
3月に行なわれるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に、史上最高のメンバーで臨むチームUSA(アメリカ代表)。過去5回の大会と比較すると、特にサイ・ヤング賞投手ふたりを軸とした投手陣の編成には目を見張るものがある。
ただ、チームUSAがWBCに本気になるまでなぜここまで時間がかかったのか。2005年に大会の立ち上げが決定してからの経緯を振り返りながら、現在地を検証してみる。
前編〉〉〉アメリカ代表監督の言葉に見る「打倒・侍ジャパン」のための史上最強メンバー編成
【メジャーリーガーふたりのみだった第1回大会決勝】
それにしても、アメリカが本気になるまでには随分と時間がかかった。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、メジャーリーグ機構と選手会が共同で推進した大会で、野球を国際的に普及させるという明確な目的を持ってスタートした。
2005年、デトロイトで行なわれたMLBオールスターゲームの前週に開催が正式発表され、恒例のホームランダービーは各国代表による特別形式で実施され、ベネズエラ代表のボビー・アブレーユが圧勝した。筆者はその場に立ち会っていたが、関係者の多くが口にしていたのは、「世界一を決める必要があるのか?」という疑問だった。アメリカは野球を生んだ国であり、競技レベルや選手層において他国を圧倒している。
ところが2006年の第1回大会で、その前提は崩れる。チームUSA(アメリカ代表)はスター選手をそろえながら、6試合中3敗を喫し、プールラウンドすら突破できなかった。さらに衝撃的だったのは、各メジャー球団が誇らしげに計180人もの選手をWBCに送り出したにもかかわらず、決勝を戦ったのが侍ジャパンとキューバだったことである。
当時の日本代表でメジャーリーガーは、シアトル・マリナーズのイチローと、テキサス・レンジャーズの大塚晶則のふたりだけ。キューバに至っては、メジャーリーガーはひとりもいなかった。そのキューバは、決勝進出までに、メジャーリーガーをそろえたベネズエラ、プエルトリコ、ドミニカ共和国といった強豪国を次々と撃破している。
明らかになったのは、WBCが第1回大会の時点で「MLBのスター選手を並べれば勝てる」段階をすでに超えていたという事実だった。日本もキューバも国際大会の経験が豊富で、走攻守が洗練され、チームとしての完成度が高かった。スピードと緻密さを武器に、組織的な野球を展開していたのである。
チームUSAは敗れたものの、参加した選手たちはこの経験を前向きに受け止めていた。遊撃手のチッパー・ジョーンズは、「自分の野球人生で、これが一番すばらしい経験だ。ワールドシリーズやオールスターよりも、ずっと上だ」と語っている。オールスターに8度選出され、3度のワールドシリーズ出場を経験し、のちに野球殿堂にも名を連ねる名選手である。
チームUSAは2009年の第2回WBCで準決勝まで進んだものの、侍ジャパンに0―4で完敗した。2013年の第3回大会も2次ラウンドで敗退している。勝ち進めなかった背景には、最高の先発投手が参加しなかったことに加え、出場選手の多くがWBCをメジャー公式戦に向けた調整の一環と位置づけていたからだった。
WBCの監督は、各選手の在籍球団の監督の意向を尊重しながら出場機会を割り振り、チームとしてまとまって練習する期間も限られていた。大会はあくまでエキシビション扱いで、敗れても危機感は生まれにくかった。最優先事項は、常に公式戦だったのである。
しかし、こうした姿勢ではアメリカの野球ファンの関心は高まらず、国内の視聴率も伸びなかった。2016年には、WBCそのものの廃止が検討されているとの報道まで出た。これに対し、MLBのロブ・マンフレッド・コミッショナーは「ナンセンスだ」と強く否定している。
一方で、侍ジャパンは常にベストメンバーを編成し、国の威信を懸けて大会に臨んできた。ドミニカ共和国やプエルトリコといった中南米の国々も大会を重ねるごとに熱量を高め、準備に時間をかけるようになった。第3回大会の決勝が、ドミニカ共和国対プエルトリコの顔合わせとなったことは、その象徴と言える。
オーランドで行なわれた2025年末のウインターミーティングの場で、チームUSAを率いるマーク・デローサ監督は、「日本はWBCを牽引してきた存在だと思っている。本当にそうだ」と、侍ジャパンへの敬意を口にした。これは決してリップサービスではない。WBCの歩みを振り返れば、その言葉が紛れもない事実であることは明らかだ。
1 / 3
著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

