江川卓同様、川口和久は得点圏にランナーが進むと三振を狙い、奪三振王のタイトルを3回獲得した (3ページ目)
のちに湯舟敏朗、野田浩司、中込伸、猪俣隆、葛西稔、仲田幸司、田村勤らを育てた名コーチの大石によって、川口は素質を開花させ、プロ入り3年目に15勝を挙げ、主戦投手となっていく。
「江川さんもそうだったんですけど、たとえばツーアウト三塁とか、ワンアウト二、三塁とかの時は、三振をとりにいきました。得点圏にランナーがいる時は、そういう姿勢でいました。全盛期の頃は、三振を狙いにいった時はほとんどとれましたね」
川口は奪三振王のタイトルを3回(87年、89年、91年)受賞しており、91年には205イニングを投げて230個の三振を奪っている。
そして最後に、川口はこんなエピソードを明かしてくれた。
「現役時代、アディダスのスパイクを履いていたのは江川さんだけで、めちゃくちゃ憧れましたね。だから、今でもアディダスは好きですね。アディダスって三本線じゃないですか。川口の"川"の字も三本線。だからアディダスの製品を見ると、すぐ買っちゃうんです。僕のなかでの江川さんって、力のあるピッチャー、そしてアディダスを履いているカッコいい
ピッチャーなんです」
川口のピッチング原型は、江川への憧憬から生まれたものである。憧れこそ本人の成長を著しく促すものであると、あらためて川口から教えられた気がする。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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