今中慎二が振り返る中日のピッチャー陣 髙橋宏斗以外が勝てなかった理由を分析した (4ページ目)
【リリーフ陣も含めた起用法も改善を】
――開幕前は、勝ちが期待できる先発ピッチャーが多かった印象です。
今中 そうですね。ただ、大野雄大や梅津晃大は近年に手術をしたこともあって、登板間隔を空けたりする問題もつきまとうじゃないですか。それをやるとローテーションがどんどん変わるので......。登板しては抹消するケースも多かったですし、そういうことも尾を引いていた気はします。先発ピッチャーが軒並み負け越しとなると、なかなか勝負になりません。
―― 一方、リリーフ陣はいかがでしたか?
今中 リリーフ陣はみんな頑張ったんじゃないですか。ライデル・マルティネスは別格として、松山晋也や清水達也をはじめ、藤嶋健人や齋藤綱記、橋本侑樹なんかも頑張りましたね。齋藤は、シーズン終盤あたりはバテバテでしたけどね。
勝野昌慶は開幕からフル回転で起用されていましたが、甲子園で投げた時(4月20日の阪神戦)に壊れてしまいましたね。2-15で大敗した試合ですが、勝野が5失点したんです。大差をつけられている試合で投げさせるのはどうだったのかなと。登板間隔が空いた、などの理由があったのかもしれませんが、あれでバランスが崩れてしまったような気がします。勝ちパターンに組み込んでおけば、もっといい成績を残せるピッチャーだと思います。
――中日のピッチャー陣が本来の力を発揮できれば、他球団と十分に戦える?
今中 先ほどもお話しましたが、みんな能力はあります。勝ち星がついて自信がつけば、ゾーンでどんどん勝負できるはず。味方が点を取れるかどうかという問題もあるのですが、ピッチャー陣も初回に点を取られて相手に流れを渡さないようにしなければいけませんし、勝ちにつながるピッチングを意識してほしいですね。
(中編:根尾昂の現状とドラ1・金丸夢斗への期待 理想の育成・起用法や課題は?>>)
【プロフィール】
◆今中慎二(いまなか・しんじ)
1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
【写真】実力派の野球美女たち。私服・ユニフォーム姿の厳選カット集(19枚)
4 / 4