村上宗隆が語る青木宣親「反抗的な態度をとったこともありました。それでも見捨てることなく...」 (4ページ目)
自分への厳しい練習を繰り返しながら、多くの選手へのアドバイス。青木はそういった生活をシーズン中だけでなく、オフシーズン、キャンプでも続けてきた。
「これは"無償の愛"なのですか?」と質問すると、「そうとってもらえたら、それでもいいですけど」と苦笑いし、こう続けた。
「やっぱりこの世界で生き残るには、野球がうまくなる必要があると思うし、当然チームのためにと言えばそうなんですけど......。やっぱり後輩たちはかわいいですから(笑)。いい野球人生を送ってもらいたいし、一番は困ってそうだったら手助けしたい、そういう気持ちかな(笑)」
10月2日、青木は神宮球場での広島戦で21年間の現役生活にピリオドを打つ。
青木宣親(あおき・のりちか)/1982年1月5日、宮崎県生まれ。早稲田大学から2003年ドラフト4位でヤクルトに入団。最多安打、首位打者、盗塁王、最高出塁率、ゴールデングラブなど、数々のタイトルを獲得。「走・攻・守」三拍子揃った球界を代表する好打者に成長。またWBC、五輪など国際大会にも選出され、日本代表の勝利に大きく貢献。12年にMLBのブリュワーズと契約し、レギュラーを獲得。14年にロイヤルズ、15年にジャイアンツ、16年にマリナーズ、17年はアストロズに所属し、日米通算2000本安打を達成。シーズン途中にブルージェイズ、さらにメッツへ移籍。18年、ヤクルに復帰。 21年、日米通算2500安打を達成した
著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。
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