「スーパーカートリオ」屋鋪要が証言 「江川卓さんはランナー無視ですから、余裕で走れるわけですよ」 (2ページ目)
屋鋪は、93年に大量解雇の人員整理の余波を受けて自由契約となり巨人へと入団したが、じつはそれよりも6年早い87年に巨人へトレード移籍するはずだった。
「この年、巨人の最終戦が広島市民球場での広島戦でした。僕たちは異動日で(翌日からの広島戦に備えて)広島に到着し、その日の夜に台湾料理屋さんに行ったんですよね。ここは巨人の首脳陣や大洋の選手もよく行く店でした。僕は、巨人と広島の試合中に行って食事していると、店のお姉さんから『今夜、王(貞治)さん来るよ』と伝えられたんです。それだったら、一回ホテルに戻ってまた来ようと思ったんです。
ナイターが終わり、巨人の首脳陣が個室で食事している最中に店に到着し、頃合いを見てお姉さんに王さんを呼んでもらったんです。そこで『王さん、僕、巨人に呼んでください』と直談判しました。王さんは『よしわかった。君の気持ちはわかった』と言ってくれ、紹興酒一本をご馳走になりました。
関西出身でもともとは阪神ファン。むしろ巨人憎しという思いだったんですが、やはり巨人は常に優勝する戦力を持っているのが魅力的に映ったのは確かです。槙原(寛己)くんとのトレードで話が進んでいたと思うんだけど、新聞にすっぱ抜かれてご破産になりました」
87年と言えば、江川が現役を引退した年。江川の同級生である大洋の遠藤一彦がペナント終盤の巨人戦でアキレス腱断裂という大ケガをするなど、江川の引退発表が引き金になったのか、球界をざわつかせる出来事がいくつも起きた。
屋鋪は江川を打った覚えはなくとも、速球派に対しての苦手意識はなかった。むしろ変化球投手への対応に苦労した。
「当時の巨人は江川さんのほかにも、西本聖さんをはじめ、定岡正二さん、角盈男さん、鹿取義隆さん、そうそう加藤初さんもいました。とにかく、強力投手陣でした。西本さんや定岡さんのような変化させるピッチャーにはてこずりましたね。所詮スイッチヒッターはつくりもんだから、うまくバットが捌けない。ただ、瞬発力があったので速いボールはそんなに怖くなかったですね」
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