佐藤道郎は「初代だけは獲らしてください」と野村克也に懇願 プロ野球最初の「セーブ王」に輝いた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 72年6月21日の南海対近鉄戦。南海・先発の江本孟紀は2回までに4点の援護を得るも、5回まで投げて7安打3失点で1点差。6回から佐藤に交代すると、南海は6回裏に4点を追加する。この援護も大きく、佐藤はひとりで4イニングを1安打無失点に抑えて南海が勝利。江本は勝利投手になった半面、何もない佐藤が<あまりに気の毒ではないか>と千葉は書いている。

 そのうえで千葉は、同年、江本以前に5回で勝利投手になったケースを紹介。さらには佐藤にセーブがついた試合を示し、7月5日時点でセ・パ両リーグの<セーブを記録した投手たち>を列挙。<救援専門の投手は損な立場>として、<「セーブ」によって、救援投手を正当に評価しよう>という一文で記事を結んだ。

【3試合連続サヨナラ本塁打】

 だが翌73年のルール採用はなく、変わらず投げ続けた佐藤はリーグ最多の60試合に登板。先発は2試合でも130回1/3を投げて規定投球回に到達したが、防御率は3.18でリーグ11位。なおかつ11勝12敗とプロ入り初の負け越しとなったなか、12敗のうち3敗はありえないような抑え失敗によるものだった。3試合連続でサヨナラ本塁打を浴びたのだ。

 まず、5月30日のロッテ戦(ダブルヘッダー第2試合)で1点リードの9回裏、代打の榊親一に逆転3ラン。1日置いた6月1日、阪急(現・オリックス)戦で4対4の9回裏、福本豊にソロ。翌2日も阪急戦、ダブルヘッダー第1試合では7対7の延長11回裏、長池徳二にソロ。2試合続いた時点で、佐藤自身も起用する監督兼捕手の野村克也も、及び腰になったのではないか。

「いやもう全然。また行く気でいたよ。当然、切り替えなきゃ。野村さんには『おまえ、二度あることは三度あるから、まあ気にすんな!』って言われて。談話もね、『ミチで打たれりゃしょうがない』と。で、3試合目は延長になって、オレの出番があって打たれたわけだけど、1試合目はツーアウトから右中間にフライが上がって、イージーフライをお見合いして二塁打のあとだよ。

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