ウグイス嬢と記者の雑談から生まれた「8時半の男」 宮田征典がブルペンに姿を現すだけで球場が大騒ぎとなった (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 チームは投手陣の足並みが揃わず、勝率5割を保つのが精一杯。同年は3位に終わり、優勝の栄冠は阪神に輝いた。するとオフのある日、川上が今度は宮田に皮肉を言った。「ミヤの故障がなかったら優勝できたわ」と。頭にきた宮田は「冗談じゃねえ!」と毒づいたという。

 身長174センチで体重70キロと細身だった宮田。風貌は優男で、マウンド上では常にポーカーフェイスで冷静沈着。それでも監督に堂々と物を言い、怒りをぶつけるほど内面には強く激しいものもあったようだ。そして宮田自身、監督にそこまで言ったからには......と、オフには肩周りを中心に徹底的に体を鍛えていく。川上とすれば、結果的に宮田を焚きつける形になった。

【ブルペンに姿を現すだけで球場が大騒ぎ】

 迎えた65年。キャンプ初日から絶好調だった宮田は紅白戦で腰を痛めるも、川上の配慮で一軍同行、温泉療養を経て3月末には回復。自身の地元である前橋でのオープン戦で結果を残すと、試合後、川上が報道陣に言った。

「宮田は重要なリリーフ要員です。確実に勝てる時のリリーフに使います。宮田の力はエース級に匹敵します」

 この年、国鉄から金田正一が移籍。大投手らしく、開幕から4月だけで4勝を挙げたのだが、5月下旬に左ヒジ痛で離脱。その時期、先発二本柱の城之内、中村稔も完投できないケースが目立った。そこで、監督の川上は抑えの切り札として宮田を重用。4月に先発1試合で1勝、5月には完投負けもあったが、6月以降は完全リリーフ専任となって連投も増えた。

 その頃、後楽園球場の"ウグイス嬢"だった務台鶴(むたい・つる)が、記者との雑談のなかで言った。

「私、いつも宮田さんの名前を8時半頃に呼んでる気がするわ。8時半の男ね」

 そのひと言を聞いた報知新聞記者の中山伯男が"8時半の男"と記事にしたことで、一気に流行語となる。前年まで放映された人気テレビドラマ『月曜日の男』からの連想だったという。

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