ウグイス嬢と記者の雑談から生まれた「8時半の男」 宮田征典がブルペンに姿を現すだけで球場が大騒ぎとなった (5ページ目)
「あれは酷使だったね。我々の時代は試合に出たくて仕方なくて、酷使どうのうこうのじゃないんだけど、宮田は心臓が悪くて体力もそんなになかったし。体にいいからって、すっぽんの生き血を飲んだり、食事に気をつけて、すごく健康に気を遣ってた。あの1年間は大変だったと思う」
宮田以前にも抑えの切り札はいたが、異名をとるほどのスターはいなかった。そして宮田以後、しばらく抑えのスターは現われないまま、10年近くが過ぎることになる。
(文中敬称略)
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
フォトギャラリーを見る
5 / 5