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アニマル・レスリーに殴られ続けた男・藤田浩雅が語る「阪急時代の偉大な選手たち」「オリックスへの身売り」 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 当時の阪急打線は、福本さん、松永浩美さん、ブーマーら豪快な打者が揃っていました。

藤田 たしかにいいバッターは揃っていました。その一方で、福良淳一さんと弓岡さんの二遊間コンビ、外野陣も山森雅文さん、福本さん、簑田浩二さんと鉄壁でした。投手陣を含めた守りの野球で勝つこともありました。上田監督が捕手出身というのもあったかもしれないですね。

── 88年に阪急からオリックスへの身売りがありました。

藤田 同じ年の少し前に、南海がダイエーに身売りされました。故・小林一三オーナーの「(宝塚)歌劇とブレーブスは手放すな」という遺言があると聞いていたのでホントかなと。発表当日は「西宮球場へ集合!」の声がかかりました。「えっ、身売り? 何かの間違いでは......」と思ったら本当で、衝撃でしたね。

── 阪急、オリックス時代の一番の思い出は何ですか。

藤田 やはり84年のリーグ優勝です。その後の日本シリーズでは広島と対戦し、高校時代から対戦していた長嶋清幸が相手にいて、感慨深いものがありました。長嶋は高校時代、内角の近いところにボールがいくと睨みつけてきたのですが、そのことを懐かしく思い出しましたね(笑)。

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藤田浩雅(ふじた・ひろまさ)/1961年10月3日、静岡県生まれ。御殿場西高から関東自動車に進み、82年のドラフトで阪急(現・オリックス)から3位で指名され入団。2年目の84年に打率.284、22本塁打、69打点の成績を挙げ新人王に輝く。阪急の正捕手として活躍し、抑えのアニマル・レスリーから勝利のあとパンチを食らうことが頻繁にあった。88年には史上8人目となる代打逆転満塁サヨナラ本塁打を記録。92年に巨人に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は巨人のコーチ、寮長などを歴任。今も副寮長な立場で若手を支えている

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