「常に崖っぷちに立たされている感覚」のなかで、斎藤佑樹のモチベーションを上げた一冊の本との出会い

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第56回

 2021年、ファイターズの開幕戦が所沢で行なわれた3月26日、32歳の斎藤佑樹は鎌ケ谷にいた。この日、二軍はジャイアンツ球場でイースタン・リーグの試合があって、鎌ケ谷に残っていた斎藤はブルペンであらゆる球種を、力を込めて投げ込んでいた。右ヒジの靱帯は断裂していたはずなのに、かなりの強度で投げることができていたのはなぜだったのだろう。

2021年7月12日、右ヒジの故障から269日ぶりに実戦復帰した斎藤佑樹 photo by Sankei Visual2021年7月12日、右ヒジの故障から269日ぶりに実戦復帰した斎藤佑樹 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【変化球に頼らざるを得ない状態】

 そもそも、あの時までがリハビリで、ここでリハビリは完全に終わった、とわかりやすくわけられるものじゃないんです。喩えるなら『ストリートファイター』のゲージみたいな感じかな(笑)。満タンになったから実戦というわけじゃないし、減っていても実戦はできる......そう思っていました。

 靱帯についてはヒジの中を覗けるわけでないのでどうなっていたのかはわかりませんが、あの時点で痛みはありませんでした。沖縄でのキャンプを終えて鎌ケ谷に戻ってきてからは、すべての球種を投げています。

 ヒジのことよりも肩に負担をかけない使い方を試していたんです。自分では力感みたいなものを感じられないフォームでしたが、ラプソード(レーダーとカメラを組み合わせてデータを収集、分析する測定器)で測定するといい数字が出ていました。スピードは130キロ台でしたが、靱帯断裂の診断を受けて半年でしたから、回復は順調だと思っていました。

 夏になって(7月12日)、イースタンのベイスターズ戦で1イニングを投げて実戦に復帰しました。それから二軍の試合で1〜2イニングのリリーフが続きましたが、フォーシームでバンバン押せるピッチングはできていませんでした。

 あの頃、そういう雰囲気を出せれば、もっとおもしろく野球ができるだろうなともどかしく思っていたのを覚えています。イメージのなかにあるフォーシームを投げられなかったのが右ヒジを痛めたからなのか、年齢のせいなのか、それとも技術的なことが理由なのか......そこは自分でも答えは見つかりませんでした。

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著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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