江川卓は突然の連絡に急遽アメリカから帰国した ドラフト2日前「巨人に入れるから帰ってこい」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 住居は、日米野球時から親しかった南カルフォルニア大学3年生のクリス・スミスと一緒に1DKのアパートメントを借りて住んでいた。江川は朝昼兼用でカップラーメン、夜はクリスがつくってくれるステーキを食べることが多かった。

 高校1年春から脚光を浴び続けていた江川がアメリカで自由闊達にベースボールを楽しんでいるなか、日本ではすっかり江川の話題が上らなくなった。

 そんな梅雨の最中の6月下旬、江川が全米代表の一員として突如来日したのだ。それも"USA"のユニフォームを着ての凱旋だけに驚いた。横浜スタジアムで行なわれる日米大学選手権の交歓エキシビション試合に先発し、3イニングを投げる。1回は、二飛、三振、投ゴロ。2回は捕飛、二ゴロ、遊ゴロ。3回は捕飛、二ゴロ、二ゴロと全24球で仕留め、外野には1本も打たせない完璧な内容だった。

 ただこの日米大学野球選手権は、江川はあくまでも特別ゲストであり主役は別にいた。

【江川卓に一度も負けなかった男】

 デレク・タツノ。ハワイ生まれの日系3世で、スリクォーターのサウスポーである。アエオア高校時代にレッズの6位指名を受けるもハワイ大に進学。77年日米大学野球選手権で1年生ながら全米代表に選出。第1戦で日本は江川、アメリカはタツノが先発し、6回まで石毛宏典や原辰徳らの重量打線を被安打4、奪三振9、自責点ゼロで鮮烈なデビューを果たす。

 第5戦でも先発し、被安打4、奪三振12、失点1で完投勝利。江川に一度も負けなかった男として注目を浴びる。さらに78年の日米大学選手権で"タツノ旋風"を巻き起こす。

 第2戦に先発し、被安打5、奪三振9で完封。スカウトの間では「すぐにでも15勝できる」と評され、野球浪人している江川の価値を下げてしまうほどの超逸材として、日米球界の垂涎の的として大注目された。

 大学3年間で40勝を挙げ、3年連続奪三振王に輝いたタツノは、パドレスに2位指名されるも、メジャーよりも破格な条件提示したプリンスホテルと電撃契約。しかし日本の気候に合わなかったのか、2年間で2勝しか挙げられなかった。

 それでも82年のドラフトで、ブルワーズから1位指名を受け入団。だが、メジャーに上がれないまま86年で引退。一時期は江川よりも逸材をされた日系3世のサウスポーは、MLBでは芽が出ずに消えた......。

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