江川卓は突然の連絡に急遽アメリカから帰国した ドラフト2日前「巨人に入れるから帰ってこい」 (4ページ目)
西武関係者はあくまでも社会人チーム「プリンスホテル」を設立するための勧誘の一環だと言っていたが、その数カ月後に西武ライオンズが誕生したものだから、あられもない噂が立った。
11月に入り、ドラフトを前にした江川はロサンゼルスで会見を開いている。重大発表かと思い、日本からマスコミ数社が特派員を送り込み、30数名が集まった。内容は「もう一度、1位で指名されるように願うだけです」などといった所信表明めいたコメントしかせずに、まったくといっていいほどニュース性がなかった。
取材攻勢を避けるために開いた会見だと注釈を入れたが、メディアは『江川、西武を拒否』『巨人でスッキリ江川』『消えた巨人一辺倒、西武に揺れる江川』と好き勝手に書き立てた。本来なら「12球団どこに指名されても行く」とメディアを通じて自分の意思をきちんと伝えたかったが、それができない事情があったのだろう。
とにかく、江川はロスでドラフトの行方を見守るつもりでいた。ところが、ドラフト2日前、江川は帰国命令の連絡を受け、急遽、日本に戻ることになった。「巨人に入れるから帰ってこい」という内容の話を受話器越しに聞いた江川は、曖昧な気持ちのまま飛行機に乗ったのだった......。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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