高山郁夫が明かす「ブルペンの世界」 2007年、プロ9年目の水田章雄はなぜ34歳でブレイクしたのか (4ページ目)
── 水田投手もインコースを投げる練習をしたのですね。
高山 インコースに投げるのは、勇気がいるんです。ユニホームをかすったらデッドボールになってもったいないし、少しでも甘く入れば長打にされる。すっぽ抜ければ打者の頭に向かう危険性もあり、どこかタブー視されています。でも、王貞治監督(当時)も「バッターにとってインサイドが一番嫌なんだ」とおっしゃっていたように、我々コーチ陣も「インコースを突ける投手をつくろう」と話し合っていました。水田の場合は力むと体が早めに開いて、右手のトップが遅れてボールがすっぽ抜けるクセがありました。いかにして8割程度の力感でトップをつくり、右腕を上から叩けるようになるか......という練習をしていました。
── 2007年の水田投手は45登板で5勝3敗19ホールド、防御率2.25と見事な成績を収めています。
高山 水田の勇気の賜物(たまもの)でしょう。カーブのような緩いボールを投げ込むこと、ストレートをインコースに投げ込むのは勇気が必要です。もちろん、そのボールを投げるために、彼は意図して技術的な練習を積んでいました。
── 次回はSBM(攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩)結成の裏側についてお聞きできればと思います。
高山 わかりました。あの時はいろいろとあったのですが(笑)、あらためてお話しさせてもらいます。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した。
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
フォトギャラリーを見る
4 / 4