「首位打者は落合じゃなくシノが獲れ!」1987年、タイトル争いから離脱した中畑清は、篠塚和典に発破をかけた (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――同年は、落合さんがトレードでロッテから中日に移籍して1年目のシーズンでしたね。

篠塚 別のリーグから来た選手に簡単に首位打者のタイトルを獲らせるな、という意味もあったと思いますし、自分がダメなら同じチームの僕にタイトルを獲ってほしいという気持ちがあったんじゃないですかね。

【ファーストへのコンバートの影響】

――中畑さんは1989年限りで引退しましたが、同年の近鉄との日本シリーズ第7戦で放った、代打でのダメ押しホームランが思い出されます。何かをやってくれそうなバッターという印象もありましたが、篠塚さんはどう見ていましたか?

篠塚 確かに打席に入ると、何かをやってくれるんじゃないかという雰囲気はありましたね。その日本シリーズでのホームランを打った打席もそうでしたし、同年にリーグ優勝を決めた試合でも代打で二塁打を打った。"持っている"選手だったと思います。

――中畑さんは当初サードを守っていましたが、試合中(1981年5月4日の阪神戦)のケガで離脱して以降は、それまでセカンドを守っていた原辰徳さんがサードにコンバートされ、戦列復帰後はファーストへ。セカンドの篠塚さんと守備位置が近くなりましたが、試合中に声を掛け合うことは多かったですか?

篠塚 僕から声をかけることが多かったですね。

――先輩の中畑さんからではなく?

篠塚 ファーストは、あまり動きがあるポジションではないですからね。でも、中畑さんはちょっと出過ぎちゃうところがあって......。なので、僕から「このラインまでは僕が捕りますから、そこから右には動かなくていいですよ」とか、「ライン寄りにいってください」などとお願いしたこともありました。

――(前編で)「中畑さんは4学年先輩だけど話しやすかった」というお話でしたが、やはり言いやすかった?

篠塚 そうですね。すごく話しやすかったので、試合中でもそれ以外の場面でも、中畑さんとの会話の中で気を遣うことは、いい意味でありませんでした。なので、試合中のコミュニケーションもしっかり取れていたと思います。

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