斎藤佑樹が映像に残した引退する盟友との惜別のキャッチボール 「僕にこのフォーシームがあったら......」 (4ページ目)
ところが、その次のブルペンの時、その感覚がどこかに消えて、まったくできなくなってしまいます。きっと感覚だけに頼り過ぎていて、なぜそれができたのか、メカニックをしっかり理解していなかったからなんでしょうね。あの時の失望感と焦りは、今もハッキリ覚えています。
それからはいったん戻った感覚を何とか取り戻したくて、あれこれ模索しているうちにヒジの張りが強くなりました。ただ、この時も痛みと張りの区別がつかなくて、いい感覚を取り戻すにはボールに指がしっかりかかっていなければダメだから、ある程度の張りはいい兆候なんだと思うようにしていました。パチンと指にかかる時って、右手の小指と薬指がキュッと閉じたまま、尺側手根屈筋がいい感じで働いてくれているんです。だからヒジが張るのはその筋肉が使えているからだと考えていました。
でも、そうではなかった。ヒジの張りは治りませんでした。そのうち、これは張りではなく痛みなのかなと考えざるを得ませんでした。
いま思えば、ヒジの痛みは僕の投げ方から来ていたんだとわかります。MER(肩の最大外旋位)における角度をどこまで出せるのか、ギリギリのところのフォームを会得して、なおかつ納得のいくボールを投げる......それができなければ、ヒジを痛めてしまうか、プロでは戦えなくなります。
僕はMERの角度が出せないまま、ヒジをしならせることだけに頼るフォームで投げ続けて、ヒジに負担をかけていた。それがヒジの痛みにつながってしまった、ということです。
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コロナ禍、開幕が6月19日にずれ込んだ2020年のプロ野球。斎藤に1軍での登板のチャンスはやってこなかった。2軍では19試合に登板し、1勝3敗、防御率9・31という厳しい数字が残っている。その最後となった10月16日、イースタン・リーグのジャイアンツ戦で、長く苦しみ続けたプロ野球人生、最後の悪夢が、斎藤を襲うことになる。
次回へ続く
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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