大谷翔平との投げ合いで始まった斎藤佑樹のプロ4年目 投げられない時にたどり着いた境地 (4ページ目)
たとえば打たれた瞬間にわかるような、でっかいホームランを打たれたとします。そこで、ずっと打球を追って、入るのか、入らないのか、できれば入らないで、って念じるんじゃなくて、すぐにあきらめて、次のバッターのことを考える。あきらめるというのは、自分の考えを変えるということなんです。そういう心境に至ったら、いろんなことを感じることができるようになりました。そのタイミングで、僕は「この3年間は勉強の年だったんだ」と割り切るようにしました。
4年目の初登板は開幕2戦目(3月29日)でした。札幌でのバファローズ戦はうまく立ち上がって、4回ツーアウトまでヒット1本のピッチングだったんですが、そこから安達(了一)さんに初球をセンター前へヒットを打たれて、盗塁されて、坂口(智隆)さんにタイムリーを打たれて、あっという間に先制点を許します。5回には糸井(嘉男)さんにスライダーをライトスタンドへ運ばれて2点目。6回には連打を浴びてさらに2点をとられて0−4とされたところで交代、勝つことはできませんでした。
2度目の先発は少し間隔が空きます(4月10日、札幌でのイーグルス戦)。この試合は立ち上がりからストライクが投げられなくて、初回、1番(岡島豪郎)、2番(藤田一也)のふたりを立て続けに歩かせてしまいました。そのランナーを2本のヒットで還してしまい、2失点。
2回もまた先頭からふたりを歩かせたところで交代(51球)となり、この後、ファーム行きを告げられました。フォアボールをあんなに出していたら、バッターとの勝負にはなりません。なぜストライクを投げられなくなるのか、それは気持ちの問題なのか、技術の問題なのか......そんな課題と向き合わなければならなくなりました。
* * * * *
2014年5月29日、西武第二球場でのイースタンの一戦。その日のスコアブックを辿ってみると斎藤が初回、ライオンズに投じた23球のうち、ワンバウンドしたボールが6球あった。2回はゼロ、3回は3球、4回に6球、5回には4球、6回にも1球......この日の94球のうち、20球がワンバウンドだった。何もワンバウンドがすべてダメだというわけではない。しかしこの日の斎藤のワンバウンドはすべてがダメだった。それはなぜなのか──。
次回へ続く
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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