栗山英樹監督から手紙で告げられた開幕投手に斎藤佑樹は涙 「僕の不安な気持ちと監督の覚悟が込められていて...」
斎藤佑樹のプロ2年目──監督が梨田昌孝から栗山英樹に代わり、メジャーへ移籍したダルビッシュ有がチームから抜けた。2012年、名護キャンプの初日、ファイターズのブルペンには斎藤と同学年のピッチャーが並んでいた。吉川光夫、植村祐介、榎下陽大、乾真大、そして主役を務めるべき斎藤は狙ったかのように最後、ブルペンのマウンドへ上がった。
2012年の開幕戦をプロ初の完投勝利で飾った斎藤佑樹(写真左)を称える栗山英樹監督この記事に関連する写真を見る
【梨田監督はお父さんのような存在】
最後に? そうでしたっけ......もちろん、狙ってなんかいませんよ(笑)。プロ1年目を終えて2年目は期待されているなという感覚はありましたし、開幕投手の候補にもシーズンオフからずっと名前を出してもらっていました。だから、そのつもりで名護キャンプに臨んでいたことは事実です。
投内連携でも、誰かが失敗するとみんながマウンドへ集まって、当時はファイターズのコーチだった福良(淳一)さんや中嶋(聡)さんが話をしに来ていました。そういう時、まだ2年目の僕には若手という意識があったんですが、栗山監督に「佑樹、おまえはもうこのチームを引っ張っていい存在なんだから、ああいうところで発言していいんだぞ」と言われたんです。いやいや、野手には大先輩の飯山(裕志)さん、金子(誠)さん、小谷野(栄一)さんもいるのに、僕なんかが、と思っていましたけどね(苦笑)。
2年目から栗山さんが監督になりましたが、僕にとっては1年目の監督が梨田さんだったこともすごく大きかったと思っています。僕にとっての梨田さんは身近なお父さんのような存在でしたし、そういう安心感のある方が近くからいなくなってしまうのがすごく寂しかった。梨田さんが最後、「佑ちゃん、ずっと応援してるからね」と言葉をかけて下さったことは忘れられません。
思えば高校の時の和泉(実/早実監督)さん、大学の應武(篤良/当時の早大監督)さん、プロに入ってからの梨田さん......みなさん、キャッチャーだったんですよね。これ、不思議というか、すごいことだと思うんです。しかもみなさん、似ていました。
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プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。