「藤川球児のフォークも余裕をもって見逃せた」清水直行が語る2005年日本シリーズでロッテが阪神との第3戦にも大勝できた理由 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【藤川のフォークもデータで見極め】

――ロッテは7回表、シリーズ初登板となった藤川球児さんから橋本将さんが2点タイムリー。代わった桟原将司さんから福浦和也さんが満塁ホームランを放って一挙7点。第1戦、第2戦と同様に終盤にビッグイニングを作りました。

清水 この年は、誰かが打ち出したら止まらない打線だったんですよね。この試合で途中出場だった(マット・)フランコや橋本が代打でしっかり仕事をしたことで、打線がつながりましたよね。

――フランコも橋本さんも、藤川さんの低めの変化球をしっかりと見極めていました。個々のピッチャーへの対策も徹底されていたように見えました。

清水 ボビー(・バレンタイン監督)が来て以来、あらゆるデータを活用するようになっていましたし、球児のフォークが「どのくらいの割合でストライクになるのか」といった傾向もバッター陣で共有していたでしょうね。フランコなんかは、低めのフォークも余裕をもって見逃していましたし。

――先ほど、甲子園は独特な雰囲気でアウェー感を感じるとのことでしたが、そんな中でのファンの応援は心強かったですか?
 
清水 甲子園の360度ほとんどを阪神ファンが埋め尽くしている中、一角に陣取っていたロッテファンの皆さんが大きな声援で僕らを鼓舞してくれました。26番目の選手というところで、ファンもチームの一員ですからね。本当に心強かったですよ。

(阪神・関本氏の証言4:JFKを擁した阪神投手陣がロッテに「これほど点を取られるとは...」日本シリーズで感じていたチームの「焦り」>>)

【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)

1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

【写真】阪神vsロッテ「33-4」2005年の日本シリーズ フォトギャラリー

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