甲子園、早稲田、プロ、そして突然の死。高橋直樹が語った因縁のライバル (4ページ目)
「監督は詳しく言わないけど、バカじゃないから自分なりに考えたんです。オレの今のフォームじゃあ、あまりにも真面目過ぎる、おとなし過ぎる。もうちょっと、バッターに嫌われることをするのがいい方法じゃないかな、ということを、たぶん小嶋さんはオレに言っているんじゃないかなって」
腕を下げるフォーム改造に取り組んだ高橋さんは、スリークォーターでは特にバッターが怖がらないことに気づく。そこでさらに腕を下げ、体を傾けてサイドスローにすると、すべてのボールが低めに行きだした。
「2ヵ月ぐらいしたら、僕がバッティング練習で投げるとみんな怖がるんです。上から投げてるときはバッターも向かってくるんだけど、下から投げるようになったら、みんな腰が引けて逃げるんですよ。そうか、監督はこれを言ってたんだなって、そのとき初めてわかって。
自分が気持ちよく投げていてもね、相手も気持ちよかったら抑えられない。そう気づいたら、さらに体を傾けて、最後はストレートでもバッターのほうに食い込む球筋になってたね」
投手と打者の対決に関して、お互いの「気持ちよさ」を焦点にした表現は初めて聞く気がする。「上から投げていると、どうしても手先で投げる感覚になってコントロールがつきづらい」という話も興味深い。振りかぶったあとに体が深く沈み込み、逆にテークバックで腕が高く上がる高橋さん独特のフォームを想起しつつ、話に惹き込まれた。
「監督は自分で考えることを大事にして、しかも自由にさせてくれました。ピッチャーがシートバッティングで投げる、紅白試合で投げる。終わったら、ピッチャーは何をやってもいい。だから僕はいつもキャッチャーと組んで、毎日、自分の役割が終わったら、近くの海岸線をずーっと走ってね。走るのだけは人より多くやりました。そんなことがだんだんと本当の自分の力になっていたんだなと」
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