大学生の中尾孝義がプリンスホテルから受けた好待遇 食事はホテルで無料、通学はタクシー、お小遣いまで... (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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【補強選手として都市対抗に出場】

 それでも、中尾と内野手の中屋恵久男(早稲田大)は熊谷組、内野手の石毛宏典(駒澤大/元西武ほか)は東芝府中に補強されて都市対抗に出場。熊谷組が決勝まで勝ち進んだなか、4本塁打を放った中尾は久慈賞、中屋も若獅子賞を受賞した。同年から金属バットが採用され、大会全体で本塁打が急増したとはいえ(前年の23本から62本)、中尾の打棒は「すごい」のひと言だ。

「すごかったですね(笑)。たしかに、金属バットでホームランが増えて、ロースコアの試合が少なくなりました。とくにプリンスの試合は打ち合いが多くて。僕のリードも悪かったんだろうけど、キャッチャーとしては国際大会での経験がいい勉強になりました。たとえば、リーチが長い外国人の選手はインコースの速い球は打てない、ということとか」

 都市対抗のあと、中尾、中屋、石毛の3人は全日本メンバーに選ばれ、キューバで行なわれた第4回インターコンチネンタルカップに出場。プロでの中尾は徹底してインコースを突くリードが特徴だったが、その素地はプリンス時代、世界を相手に戦った時にできていた。
 
「もちろん100%のリードなんてないですから、ベースから離れて立っている選手がいたら考えないといけない。それでもインコースなのか、アウトコースなのか、変化球なのか。変化球も小さい変化なのか、大きい変化なのか、速いのか、遅いのかと考えて自分の答えを出す。いろんな国の連中を相手にしたことで、キャッチャーとして成長させてもらいました」

 始動2年目の80年。プリンスホテルは第三代表で都市対抗初出場を果たす。課題の投手力強化に向け、ふたりの大型新人が加わっていた。ひとりはパドレスのドラフト2位指名を断って入社した左腕のデレク・タツノ(ハワイ大)。もうひとりは法政大で活躍した本格派右腕の住友一哉(元近鉄)。中尾は正捕手として、とくに住友の技量を頼りにしていた。

「大事なところを任せられる存在でした。みんなまだ若いし、初めての都市対抗で緊張していたと思うけど、住友は1回戦の神戸製鋼戦、1対0で完封でしたから。2回戦は延長13回で新日鉄釜石に負けたけど、3対4。打ち合いじゃないし、ピッチャーはよく頑張ったと思います」

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