東大からプロ野球選手、イチローに打たれ二軍降格、ナベツネ・孫正義との出会い...小林至が振り返る波瀾の人生 (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji
  • photo by Sankei Visual

【イチローに打たれ二軍降格】

── 小林さんが入団された当時のロッテは、野手では西村徳文さん、愛甲猛さんらがいて、投手は伊良部秀樹さん、前田幸長さん、小宮山悟さんたちが一軍にいました。現役時代に思い出に残っていることは何ですか。

小林 プロ2年目の93年、日本ハムとのオープン戦に中継ぎで2イニングを無失点で抑えました。相手打者は広瀬哲朗さん、白井一幸さん、中島輝士さん、ウインタース......。翌日、体に強い張りが出ましたが、心地よい疲労感でした。

 私がソフトバンクのフロント時代、球場で白井さんに会った時にこう言われました。「15年前のことでも、投手ゴロに打ちとられたのをはっきり覚えているよ。ビリヤードだったなぁ」。ビリヤードとは、バットの先端にボールが当たることです。思いきり腕を振ってもボールがこなかったのでしょうね(笑)。でも、それが私の持ち味でした。オープン戦とはいえ、1週間ほど一軍に帯同できたのはうれしかったですね。

── その後も登板はあったのですか。

小林 つづくオリックス戦では、のちにイチローとなる鈴木一朗選手と対戦しました。高卒2年目でしたが、その前年にウエスタンリーグで首位打者を獲っていました。カウント3ボールから置きにいった球をものの見事に右中間三塁打です。その後、味方が逆転してオープン戦ながら"プロ初勝利"が転がり込んできましたが、二軍行きを通告されました。「この試合を抑えたら開幕一軍もあるぞ」と言われていただけに悔しかったですね。それにしてもさすがイチローです。今となってはいい思い出です。結局、プロ2年間で一軍登板はなし。イースタンリーグでは26試合で0勝2敗、防御率6.17。憧れのプロのユニフォームは2年で脱ぐことになりました。

【ソフトバンクの取締役に就任】

── 2004年、小林さんの著書『合併、売却、新規参入。たかが...されどプロ野球!』(宝島社)が脚光を浴びました。

小林 2004年は、オリックスが近鉄を吸収合併することに端を発した"球界再編騒動"が勃発しました。大学教員であり、スポーツビジネス、とくにプロ野球の球団経営を研究していた私はこの本を12月に上梓しました。そのなかで球界再編のキーパーソンである読売新聞社の渡邉恒雄主筆のインタビューに成功したのです。

 その後、渡邉氏には折に触れて声をかけていただきましたが、ものすごい勉強家です。野球協約の本の厚さが、本来の2倍に膨れ上がっていました。なぜなら、折り目と付箋だらけだからです。アンダーラインの数も半端なかったですし、重要な箇所は暗記するほど読み込んでいました。その渡邉さんが拙著を200冊購入してくれて、知人に配ったことをのちに知りました。そのひとりが孫正義さんだったのです。

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