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ドラゴンズ黄金期を支えた名手・英智 落合博満に「お前ならあれくらいは捕らないと」と認められるまで「5年必要だった」 (2ページ目)

  • 栗田シメイ●取材・文 text by Kurita Shimei
  • photo by Sankei Visual

【「お前ならあれくらいは捕らないとな」】

――その緊張感というのは、英智さんの野球人生においていい方向に作用したんでしょうか。

英智:間違いなくいい方向に出たと思います。実際に多くの出場機会を与えてもらい、コーチまでやらせてもらった。それはやはり落合さんの下で野球を学び、考える力がついたことが大きいですね。

 本来なら、求められる答えを自分で用意するのではなく、「僕はこういう風に思ってます。どうしたらいいでしょう?」というように、距離感を縮めるために飛び込んでいけたらよかったんでしょうが、残念ながらそういう機会はなかったです。最初は選手と監督、そして落合さんがGMになられてからはGMとコーチ、という関係になっても距離感はずっと変わらなかった。ただ、直接的な言葉にしなくても、そういう振る舞いや選手との接し方についても落合さんから学んだことはたくさんあります。

インタビューに応じた英智氏 photo by Kurita Shimeiインタビューに応じた英智氏 photo by Kurita Shimeiこの記事に関連する写真を見る――2004年シーズンに英智さんがフライを落球した際、落合監督が「あいつが捕れなきゃ誰も捕れない」とコメントを残したことが印象に残っています。

英智:僕が落合さんに言われた言葉で印象的なのは、「使うのはこっちだから、お前らがミスしても俺の責任だから気にするな」ということでした。選手はどうしてもミスを引きずるし、僕もそのタイプで切り替えが下手だったんです。ただ、それ以降はミスしてもこのキーワードが頭にあるので、気持ちはずいぶん楽になりましたね。

――その後、選手と監督としての距離感や、信頼関係は少しずつ変化していったんでしょうか?

英智:どんな職場でもそうだと思いますが、仕事を一緒にする年数が経ち、信頼関係ができてくると立場も変わり、落合さんの中で「お前はこれくらいはやってもらわないと」という計算や見込みができてきたとは思います。

 具体的には、最初の2、3年は何も言われずに、5年が経った頃くらいかな。今度は「お前ならあれくらいは捕らないとな~」という風に変わってきた。僕は個別に声をかけられることが多いほうではなかったですが、ミスによって計算が狂っただろう時は、落合さんに話しかけられました。そういった意味では、落合さんに計算してもらえるようになるまで、5年の歳月が必要だったということかもしれません。

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