斎藤佑樹が追い求めた150キロと股関節痛「このケガがピッチャーとしての未来を変えてしまったとしても、それも僕の人生」 (4ページ目)
あの時期に股関節を痛めたことで、その後のピッチングにかなりの悪影響を与えてしまったと思います。身体に違和感を覚えた状態で投げ続けたことが、おかしな癖になってしまって、それがやがては肩にも悪影響を及ぼしてしまった。
僕には器用貧乏なところがあって、何でもやろうと決めるとそれなりにできるところまで進んでしまうんだけど、それが最善だったのかと言われると、そうとは限らない。股関節が痛くても、身体が開いても、リーグ戦で投げてバッターをアウトにとれてしまう。そうすると、それも引き出しのひとつだと考えるようになってしまいます。
スピードを上げるにしても、今ならトレーニングも違うやり方をしたはずです。ただ、ああしていれば、こうしておけば、というのは過去への言い訳です。その時なりに精一杯考えて、選んだやり方については、悔いはありません。
だから、大学でのケガがピッチャーとしての未来を変えてしまったとしても、それも僕の人生です。高校からプロへ行っていたら、野球に関してはレベルアップできていたかもしれませんが、高校からの周囲の期待をそのまま受けて、人間として成長できていたかわかりません。大学を選んだからには、高校からそのままプロへ入ったことでは得られない何かを得て、さらに野球もプロと同じくらいやらなければならないと思っていました。勉強と両立しながら野球でもっと上にいかなくちゃいけないという考え方が自分にプレッシャーをかけて、焦りを生んでいたのかな......あの時、股関節を痛めたのは、それも理由のひとつだったと思います。
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斎藤が大学を選んだのは、将来的に潰しが利くとか、ほかの道を視野に入れていたからではない。一生、野球で食っていく覚悟を決めていたのに、それでも彼は大学へ進んだのだ。だからこそ、大学野球の世界でプロを意識することの難しさを、3年生になった斎藤は痛感していた。
(次回へ続く)
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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