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「早稲田大は野球も考え方も古い」と感じていた仁志敏久が涙を流し、4年の秋に「行ってよかった」と心から思えたワケ (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ichikawa Mitsuharu (Hikaru Studio)

── 主将として迎えた4年春、仁志さんは早慶戦の2試合で9打数8安打7打点、早慶戦史上初となるサヨナラ満塁ホームランを打っています。

仁志 あの春の早慶戦の時は野球の神様が降りてきました(笑)。2試合で打った8安打のうちツーベースが4本、ホームランが3本。バックスクリーンまで飛んだホームランもありました。サヨナラ満塁ホームランを打った時はものすごい騒ぎになりましたが、『そんなに騒ぐなよ、打つに決まってるんだから』と、やけに冷静な自分もいたほどです。

── 秋のリーグ優勝は、早慶戦に勝って決めました。

仁志 人生のなかであんなにうれしかったことはないですね。やりきれたという達成感があったんです。主将になってから、このチームをどうやって強くしようかと考えて自分なりに春先から工夫してきました。負けることに慣れていて、勝てなくても疑問を感じない高校時代を過ごしてきたチームメイトにあえて厳しい言葉をぶつけて、勝たなきゃいけない使命感を植えつけたかった。最後の秋の早慶戦では、自分たちで決めて書き込んだメンバー表を(石井連蔵)監督に見せて、『これでいかせて下さい』と直訴までしました。何をしてでも勝ってやろうと思っていたんです。

── 優勝を決めた秋の早慶戦、今、どんな光景が記憶に残っていますか。

仁志 勝てば優勝が決まったあの試合、終盤まで負けていたんです。相手の1年生ピッチャーのスライダーがよくて、なかなか打てなかった。たまたまそのピッチャーが(イニング間の)投球練習で足をひねって、急に交代しました。8回だったかな。1−3で負けていたんですが、その回、僕のタイムリーにエラーも絡んで一気に逆転した。

 逆転のホームを踏んだのは僕でしたが、その時、涙が止まりませんでした。試合が終わって応援席からの校歌を聴いていた時もずっと涙が止まらなくて......あんな喜び方をしたのはあとにも先にもあの優勝だけです。早稲田に行ってよかった、と思いましたね。


仁志敏久(にし・としひさ)/1971年10月4日生まれ、茨城県出身。常総学院高時代に3年連続夏の甲子園に出場し、1年時は準優勝。その後、早稲田大から日本生命を経て、95年のドラフトで巨人を逆指名(2位)して入団。1年目に打率.270、7本塁打、24打点を記録し新人王に輝く。また二塁の名手として、99年から4連続ゴールデングラブ賞を獲得。06年オフに横浜に移籍し、10年には米独立リーグでプレーしたが、故障もあり同年6月に引退。21年からDeNAのファーム監督を務めている。

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【あらすじ】荻島航平は"都立の星"と呼ばれた高校球児。
3年の夏を終え、次なる舞台として目指したのは
"神宮球場"を主戦場にする"都心6大学リーグ"だった。
猛勉強の末、池袋大学に入学した荻島だったが、
野球部の練習初日になんと"4軍"行きを命じられてしまう!
下剋上を目指す、荻島の"4軍くん"ストーリーが始まった!

【著者プロフィール】石田雄太(いしだ・ゆうた)

1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Nunber』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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