斎藤佑樹、波乱だった大学野球のスタート。沖縄のキャンプでは監督から「オレが想像している斎藤はこんなピッチングじゃない」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 監督はキャッチャー出身でしたし、その視点には何度も頷かされましたね。ピッチャーの腕の軌道にはとくに厳しくて、大石(達也)にもよく言っていました。「おい、また腕が入りすぎているぞ」って......そういう腕の使い方をするようになるとピッチャーは調子を崩すし、やがて壊れるということを監督はいつも話していました。

 浦添で監督と二人三脚で特訓したおかげで、感覚は徐々に戻ってきました。春のリーグ戦の前にオープン戦があったんですが、その時に調子がよくて結果を出していたのは福井のほうだったのかな。僕は全然、ダメでした(実際はかずさマジック、JFE東日本などの社会人を相手にリリーフで登板して無失点、大学相手のオープン戦には先発、中央大学を相手に5回を、東海大学との試合では6回を投げていずれも無失点に抑えるなど、結果を残している)。

 それでも監督はキャンプの時から「リーグ戦の開幕は斎藤で行く」みたいな雰囲気は出していました。半分はリップサービスかなと思っていましたが、でも半分は、あるかもしれないなとも思っていました。

 そうしたら開幕直前、監督室に呼ばれました。そこで「開幕戦、行くぞ」と言われて、ホントに行くんだと思いましたね。

 当時のエースは3年生の須田幸太(元横浜DeNA)さんで、2年生に松下健太(元西武)さん、大前佑輔さんがいました。たぶん1年生の僕が開幕戦に先発すれば、先輩方はいい気持ちはしなかったと思います。でも松下さんが上の先輩たちとの空気を和らげてくれましたし、須田さんは淡々と自分の練習に打ち込んでいて、僕はやりにくさを感じたことはありませんでした。

【福井優也へのライバル心】

 あとになって気づきましたが、應武さんはチームのなかでのケミストリー(化学反応)をどうやって起こすかということをすごく考える人でした。たぶん、開幕前のオープン戦では僕が開幕投手に相応しい圧倒的な結果を残していたわけではなかったと思います。でも監督は、"斎藤佑樹"が開幕投手を務めることがチームに対してポジティブな影響をもたらすのではないかと考えていたんだと思います。その結果、僕が選ばれたんでしょうね。

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