斎藤佑樹、波乱だった大学野球のスタート。沖縄のキャンプでは監督から「オレが想像している斎藤はこんなピッチングじゃない」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 入学式前の3月、沖縄の浦添で野球部のキャンプがあったんですが、その時に應武(篤良)監督が僕のピッチングを見て、「斎藤、様子がおかしいぞ。オレが想像している斎藤はこんなピッチングじゃない」と言うんです。僕も、何が狂っていたのかはわからなかったんですが、とにかく投げていておかしいと感じていました。夏の甲子園の時のような感覚でピッチングしたかったのに、思うようにできてない。リズム感がまったく違うんです。

 そこで應武監督が「発想を変えてみたらどうだ」とアドバイスしてくれたこともあって、フォームをガラッと変えてみようと思い立ちました。應武監督と一緒に、浦添の室内練習場でネットスローやシャドウ・ピッチングをひたすら繰り返しました。

【應武監督と二人三脚で特訓】

 思えば僕のなかには松坂(大輔)さんのイメージがあって、夏の甲子園ではほぼストレートとスライダーだけだった球種を増やしたかったんです。だから、夏の甲子園が終わってすぐの高校日本代表に選ばれてアメリカへ行った時、そこの硬いマウンドで投げるとやたらと落ちるようになったフォークを投げまくった。それは新しい自分を見つけたかったからだし、ツーシーム、カーブ、チェンジアップなんかも自由自在に操りたかったんです。

 でもフォークを投げすぎたらスライダーの感覚を失ってしまって、やがてはストレートの感覚までおかしくなってしまったまま、春の浦添キャンプを迎えていました。それがリズム感を失った原因だったのかもしれません。

 まずはストレートの感覚をよくすることを最優先に、腕の軌道を見直しました。感覚を戻そうと知らず知らず力が入っていたせいか、腕が身体の後ろ側に入ってしまっていたんです。そこを應武監督に指摘されて、まずはその修正を図りました。

 右腕を身体の前に通して、そのまま回す。後ろ側に入ると、投げようとするときに身体が開いて腕が遅れて出てきてしまうんです。だから右腕を身体より前で回して畳んで、右腕を投げるタイミングに間に合わせるようにと應武監督に指導を受けました。

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