斎藤佑樹、福井優也、大石達也が今だから明かす「ジャパン選考ぶちギレ事件」「ドラフト秘話」「應武監督」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kai Keijiro、Sankei Visual

斎藤 そういうことも考えて、應武監督は僕をキャプテンにしたんじゃないかと思うよ。3人のバランスを考えて、福井が11番、大石が1番、僕が10番。

福井 たしかにオレ、11番をもらって、やる気にさせてもらえたもんね。

斎藤 ホント、應武さんってすごい監督だよね。

おわり


 この記事に関連する写真を見る斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業では2006年夏の甲子園で全国制覇し、「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大でも1年春からリーグ戦に登板し、東京六大学リーグ史上6人目(当時)の「30勝、300奪三振」を達成。2010年ドラフト1位で日本ハムに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、2年目は開幕投手を務めた。だが、その後はケガに悩まされ本来のピッチングができず、2021年10月に現役引退。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役として活躍中。

 この記事に関連する写真を見る福井優也(ふくい・ゆうや)/1988年2月8日、岡山県生まれ。済美高では1年秋からエースとなり、2年春のセンバツ大会で初出場初優勝に貢献。同年夏の甲子園でもチームを準優勝に導く。2005年の高校生ドラフト4位で指名されるも拒否。1年間の浪人の末、早稲田大に入学。同期となった斎藤佑樹、大石達也とともに活躍。2010年ドラフト1位で広島から指名され入団。1年目は8勝を挙げ、2015年には自己最多の9勝をマークした。2018年オフにトレードで楽天に移籍。2022年シーズン終了後に楽天から戦力外通告を受けた。

 この記事に関連する写真を見る大石達也(おおいし・たつや)/1988年10月10日、福岡県生まれ。福岡大大濠高から早稲田大に進み、1年秋から3年春まで4シーズンにわたって38回2/3イニング連続無失点を記録。2010年のドラフトでは6球団による競合の末、西武が交渉権を獲得し入団。2016、17年と好成績を挙げて飛躍が期待されたが、2018年は10試合の登板に終わり、2019年シーズンを最後に現役引退。引退後は西武の球団スタッフに就任し、2021年から二軍投手コーチとして若手を指導している。

【著者プロフィール】石田雄太(いしだ・ゆうた)

1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Nunber』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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