ヤクルトの「イケメン通訳」が外国人選手の活躍を支える。「ふだんは陽気な彼が精神的につらそうでした」とオスナの不調時もサポート (4ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi
  • 吉楽洋平●撮影 photo by Kichiraku Yohei

【不調時もサポートを続けたオスナと一緒に】

 シーズン序盤、オスナが不調に陥ったときにも、水島さんは寄り添っていた。

「オスナと仲のいいサンタナがケガで離脱していたので、話し相手になって、二人三脚で毎日を乗りきったっていう感じですね。3年契約の1年目とはいえ、彼の性格上、焦りがあったと思うんです。ふだんは陽気な彼が、精神的につらそうでした。素人の僕にも打撃のアドバイスを求めてきたくらいですから。

 それでも、絶対に不調を抜け出したいという気持ちが強くて、早出練習したり、コーチにアドバイスを求めたりと努力していました。復調できたのは、何かきっかけがあったというよりも、彼自身の努力があってこそ。自らの力で抜け出せたんだと思っています」

 水島さんは当時をこう振り返る。

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【日米の野球を知る強み】

 水島さんは、米空軍に所属していたアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれた。子どもの頃から野球に親しんでおり、高校生までは自身も選手だったが、「プロは無理だな......」と自覚してからは、漠然と野球に関わる仕事に就きたいと思うようになったという。

 そして、アメリカの大学に在学していた時、インディアンス(現・ガーディアンズ)で、通訳やスコアラー業務に携わるようになった。2018年冬にヤクルトが通訳を募集しているのを知ると、迷いなく名乗りを上げた。

 子どもの頃に横田基地に住んでいた時には家族で西武ドームに足を運ぶこともあったが、基本的に身近にあったのはメジャーリーグだった。

「ヤクルトに入団する前は、日本のプロ野球に関する知識はそれほどなかったです。日本のボーイズリーグでプレーしていたので、日本の野球にまったく触れていなかったわけではありませんが、今のプロ野球の選手のこととかは勉強が必要でした」

 実際に試合を見たり、雑誌などの記事を読んだりして、知識を身につけていった。意外に役立ったのが野球ゲームだったという。

「ゲームをやって、このピッチャーはいいんだとか、いろいろ学びましたね(笑)」

 このようにして、日本とアメリカ、両方の野球を知っているからこそ、外国人選手に親身にもなれるのだろう。

「仕事には本当にやりがいを感じています。今の自分にとって非常に合っていると思います」

 通訳の仕事をこのように捉えている水島さんに、将来の展望を聞いてみた。

「通訳の仕事を土台としてステップアップし、将来的には外国人選手の獲得に向けた業務、たとえば、調査や契約、代理人のやりとりなど、自分の上司がやっているような業務にも携わりたいですね」

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