ロッテにドラ3で入団もプロ1年目にイップス。島孝明は育成契約打診を断り、大学進学からの「野球界復帰」を目指す (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文・写真 text & photo by Matsunaga Takarin

「ジャパンに選ばれ、この時にプロを意識しました。もともと大学進学を視野に入れていて、自分の目標は150キロを出すことであり、プロに行くことではありませんでした。練習試合とかでスカウトが来ているのがわかっていても『また来てるな』という程度で、関心はありませんでした。でも、ドラフト1位で指名された4人に負けている感じはありませんでした。別に下に見ているのではなく、それぞれ特性がありますし、同じ舞台に立っている以上、対等だと思いながらジャパンでは一緒にプレーしていました」

 島だけが最後の夏の甲子園に出場できなかったが、単純に能力だけを比較したら決して劣っているとは思わなかった。「常時150キロを出せるのはオレだけ」という自負が、島にはあった。

プロ1年目に起きたまさかの異変

 そんな島に異変が起きたのは、プロ1年目、夏の猛暑が少しおさまりつつある頃だった。8月26日、イースタンリーグでのヤクルト戦。6回から2番手で登板した島は、普段と変わらない様子でマウンドに上がった。だが、投球練習から指にボールがうまくかからない。

 先頭から3連続四球で無死満塁。そこからなんとか二死までこぎつけたが、球を置きにいったところを狙われ2連打。さらに2つの四球もかさみ、2/3イニングを2安打、5四球、7失点と大炎上。1回ももたず屈辱の交代となった。

 それからおよそ1カ月後の10月1日のDeNA戦、3回途中から登板するも一死も奪えず2つの四死球などで1失点。ただの不調とかではなく、明らかに何かがおかしかった。

 島は、運動障害である"イップス"にかかってしまったのだ。フォームを変にいじったわけでも、肩やヒジに故障を抱えたわけでもない。イップスになった原因がまったくわからなかった。そこから暗闇のなかを彷徨い続けた。

 プロ3年目のオフに戦力外通告を受け、フロントからは育成契約を打診された。その場での返答は避け、島は熟考した。傍目には状態が上向きになっていると思われても、島自身は元に戻らないどころか、別人になっている感覚だった。いくら投げ込んでも「オレじゃない......」というもどかしさが心を蝕(むしば)む。

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