片岡保幸「WBCメンバーには選ばれたくなかった」。その理由や巨人と西武の違いについて語った (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kai Keijiro

── ジャイアンツ移籍後は故障が続き、思うような成績を残せませんでした。巨人での3年間を振り返っていただけますか?

片岡 申し訳ないですけど、まったく活躍できませんでしたね。本当に行って、申し訳なかったという感じです。原監督としても、「もっと打ってくれるだろう」という思いだったはずです。いつも、「おまえさんの走塁には期待しているぞ」と言ってもらっていたのに、それを披露することができなかったです......。

── ジャイアンツへの移籍で得たものはありますか?

片岡 やっぱり、野球人としては「ジャイアンツのユニフォームを着てプレーができた」ということは誇りです。それに、さっきも言ったようにセ・リーグとパ・リーグの野球の違い、ジャイアンツとライオンズのチームカラーの違いを経験できたことは、これからにも役立つと思います。それに、社会人の東京ガス時代に一緒だった内海(哲也)と、また一緒にプレーできたのもよかったです。

── 現役最終年となった2017年は、一度も一軍出場することなく現役引退となりました。13年間のプロ野球人生は完全燃焼できましたか?

片岡 完全燃焼ではないですね。もう少し、華やかに終わりたかった。そんな思いはありますね。もともと、「自分は走れなくなったら終わりだ」という思いは持っていました。実際にそういう時期が来て、戦力外通告を受けましたけど、やっぱり「自分から引退する」、そういうところまでいきたかったという思いはあります。

── 「ケガさえなければ......」という思いは、ファンの人もみんな思っていたと思います。

片岡 現役晩年は、太もも、ふくらはぎ、膝......、いろいろケガもあったけど、ファンの方に支えられた現役時代でした。「もう一度、一軍のグラウンドに立ちたい」という思いでやってきたので悔しかったです。応援してくれた方々に恩返しできなかったことは心残りでしたけど、支えてくれたファンの方には心から感謝しています。

おわり

  プロフィール
片岡保幸(かたおか・やすゆき)/1983年2月17日、千葉県生まれ。宇都宮学園高(現・文星芸大付属高)から東京ガスを経て、2004年ドラフト3巡目で西武に入団。俊足を生かしたプレースタイルで07年から4連続盗塁王を獲得。08年には最多安打に輝き、リードオフマンとして日本一にも大きく貢献した。09年、第2回WBC出場。14年、新天地ジャイアンツへ移籍し、15年には通算300盗塁を達成した。その後は度重なるケガに悩まされ、17年に引退を発表した。18年から21年までジャイアンツ二軍内野守備走塁コーチを務めた。

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